2019/12/23

冬を覚悟する色彩──小石川植物園

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2019.12.23にアップしました。

 小石川植物園の新しい温室には、熱帯性植物や小笠原諸島固有の絶滅危惧種 等が並びますが、研究施設なので一般的な温室のような華やかさはありません。植物に関心が薄い者の印象ですが、以前の温室も閑散としていました。
 唯一の難点だったトイレが、温室内に新設されたことを広めれば、足を運びやすくなるのではないかと。
 穏やかな陽気だったこともあり、紅葉を楽しみ冬の寒さを覚悟する季節の行事として、満足することができました……

2019/12/16

令和を実感できた大嘗宮

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2019.12.16にアップしました。

 新天皇が国家・国民の安寧・五穀豊穣を祈念する秘事は、結界の中で行われるため場所を選ばないようです。儀式は天皇制をアピールするもので、国内に限らず海外メディアにも取材してもらうため、東京の真ん中で行なわれたようにも。
 羽田空港にある礼拝スペースのように、信仰心を持つ者の祈りの場を確保することは可能だが、それは信仰対象はどこにもいるし、どこにもいない、と受け止めることもできます。そんな懐疑的な見方を払拭するためにも、儀式(イベント)は盛大に見せる必要があるのかもしれないと……

2019/12/09

ここより武蔵野──三鷹

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2019.12.9にアップしました。

 駅前から水路と遊歩道が続く光景は武蔵野のイメージに重なり、吉祥寺周辺の善福寺池・井の頭池に感じた「らしさ」が、付近で「ここから武蔵野」の印象に変わります。
 玉川上水は、2003年国の史跡(土木遺産)に指定され、清流復活事業として下水の高度処理水を小平監視所(立川市)から流すことにより、流量を保持しています。
 近くにある境浄水場は、村山貯水池(多摩湖)・山口貯水池(狭山湖)の水を引き入れるように、武蔵野は多摩と都心をつなぐ重要な役割を担います……

2019/12/02

井の頭池が「モネの池」のように?

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2019.12.2にアップしました。

 井の頭池の噴水は、水中に空気を送る曝気(ばっき)装置でしたが、現在運転を停止しています。近年は「かいぼり」等、自然の力を用いる方法に変更したおかげで、「モネの池」のようになったと評判だそう。その光景は確認できなかったが、沈んでいた自転車を引き揚げる等、かいぼりに汗を流した方々は成果をよろこんだことでしょう。
 雑木林のように、池も手入れして蘇らせる「武蔵野スタイル」は、これから定着するのではないか(水を抜くだけではない)……

2019/11/25

「住みたい街」首位陥落──吉祥寺

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2019.11.25にアップしました。

 吉祥寺駅前には、井の頭自然文化園で1954年から飼育され2016年に亡くなった、アジアゾウ はな子の像があります。
 育った町に愛着を持つ人の多いことが「住みたい街」として人気が高い理由であれば、住民にとって喜ぶべきことですが、人気の高まりで地価が高騰し手が届かない地域となり、「住みたい街」首位の座を明け渡したとのこと。
 相続税が高くなるだけとしたら、住民には単なる迷惑のように……

2019/11/18

東京女子大学「VERA祭」

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2019.11.18にアップしました。

 1938年(昭和13年)建設のチャペルには、信仰心を持たない部外者も感心するばかりです。ステンドグラスに期待する絵柄がないのはプロテスタント教会(偶像や装飾を排除)のためで、信仰に必要なのは「光」ということらしい(毎朝礼拝が行われる)。パイプオルガン(1991年設置)によるチャペルコンサートが開催されるそうで、ここに限らずいつか生演奏を体感してみたいと。
 外国人旅行者が寺社に関心を示すように、信仰しない者でも祈りの場に対する認識を持っておくべきと……

2019/11/11

武蔵野のオアシス──善福寺公園

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2019.11.11にアップしました。

 武蔵野三大湧水池とされる善福寺池(井の頭池、三宝寺池:石神井公園)ですが、現在上の池・下の池に分かれ、地下水をくみ上げ維持しているそうです。
 水辺のある公園は子どもたちがよろこびますし、年配の方にも水面を眺める日向ぼっこが人気の地は、駅から遠く訪問者は近所の方に限られるため、武蔵野の雰囲気をゆっくり楽しめます。
 下の池はアシなどの植物が多いが、上の池の水面は開けるなど環境が異なるため、野鳥の種類も違うように見えます……

2019/11/04

駅前は誰のもの?──西荻窪

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2019.11.4にアップしました。

 西荻窪駅は、高円寺駅、阿佐ヶ谷駅と同時期に設置されますが、駅周辺には当時の区画がそのまま残されるように見えます。南口の小規模店舗が軒を並べる一画は、高度成長期の労働者には欠かせない空間で、わたしも引かれる中央線沿線の雰囲気が健在ながらも、公共性を考えると区民の利便性も考慮すべきと。
 狭い道路にバスを通したため、一方通行でもスムーズに走れない道路状況に、整備すれば車が増える心配はあるとしても、バスは通してあげたいと。
 折しも、1966年に決定した道路拡張計画が動き出したそうで、周辺地区は動揺しているようです……

2019/10/28

歴史を伝える責務──荻窪

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2019.10.28にアップしました。

 戦争直前まで首相だった近衛文麿は、対米戦争の協議を自宅の荻外荘(てきがいそう)で行うも、開戦に傾く形勢を止められず内閣総辞職し、のちの首相 東條英機が開戦に踏み出します。手を下してないにも関わらずA級戦犯として裁かれる決定を受け、荻外荘で自殺しました。
 建物を史跡として復元・整備し公開する計画はなかなか進みませんが、親子連れが園内で縄跳びする姿を目にすると、子供たちに伝えるための施設の必要性を感じます……
 右は金魚の釣り堀「寿々木園」(阿佐ヶ谷)。

2019/10/21

地元に愛される活性化を──阿佐ヶ谷

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2019.10.21にアップしました。

 JR高円寺〜阿佐ヶ谷間の高架下では「高架下芸術祭」が開催されています。銭湯とコラボしたライブペインティングや、絵画・演劇の若手アーティストが通行する方と作品の制作工程を共有する催しが行われるも、この日は気配すらありませんでした。
 多少の傾斜はあるが、一直線で傘いらずの歩きやすい歩道の活用促進として、JR東日本が2014年開業し注目を集めた阿佐ヶ谷アニメストリートですが、19年閉鎖となりました。
 アーケード付き(?)の動線は利用価値が高いと思うので、まずは地元民が愛着を感じる空間を目指すべきと……

2019/10/14

ゆる〜い求心力──高円寺

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2019.10.14にアップしました。

 中野駅周辺には区の中心地(ビジネス街)の自負があるためか、女性もおしゃれに気を使うように見えましたが、隣の高円寺駅周辺ではそんな意識は感じられません。
 町の雰囲気が一気にゆるむのは、気取りのない町に吸い寄せられた若者が「ゆる〜く」暮らし続け、定着したためではないかと。JR高架下に続く高円寺ストリートで、ビールケースに腰掛け飲んで騒ぐ連中には、上野や新橋に比べ若い世代が多いとのこと。
 地域情報番組の取材に答えるカップルが、横浜から飲みに来たと話すように、若者を引きつける魅力があるようです……

2019/10/07

人は多いが住みやすそう──中野

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2019.10.7にアップしました。

 中野駅北口の中野サンモール商店街+中野ブロードウェイは地域を代表する繁華街で、途切れることのない人の流れに圧倒されます。1980年代ブロードウェイの集客は一時落ち込みましたが、まんだらけ(漫画古本店:マニアックな品揃えが受けているように)の躍進で活気を取り戻します。
 この東側に雑然と広がる新仲見世商店会の飲食店街では、土曜日の明るいうちから始まっていますが、早めに切り上げられればその方が健全と思う面も……

2019/09/30

異文化交流はスポーツで──落合

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2019.9.30にアップしました。

 せせらぎの里公苑では、インド系の人々の催しがにぎやかです。西葛西のインド系の子どもたちは英語教育のスクールに通うため、仲間同士で遊ぶ姿を見かけるように、日本の海外転勤家族と同様に仮の住まいと考える方が多いようです。
 この日、落合中央公園でサッカーに興じるメンバーも海外出身者で構成されますが、グラウンドは共用ですからスポーツを通じて地域との交流が深まればと。スポーツは世界共通の文化です!

2019/09/23

個性があふれる──高田馬場

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 高田馬場駅 早稲田口ガード下には手塚治虫漫画の壁画が並びます。手塚プロダクションが高田馬場にあることから、98年初代壁画が設置され、アトム誕生年(2003年)からテーマ曲がJR駅の発車メロディとされます。壁画もメロディーも地元の要望によるもので、町のイメージ作りの手本として訪問者にも定着しますが、若者たちはレジェンドのような存在をどう受け止めているのだろうか……

2019/09/16

歩くたび引かれる──雑司が谷

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2019.9.16にアップしました。

 雑司が谷 鬼子母神表参道周辺は大鳥神社の氏子町なので(鬼子母神はお寺の施設)、町神輿を担いで宮入します。
  鬼子母神を管理する日蓮宗 法明寺では、毎年10月16日~18日に鬼子母神御会式(おえしき 日蓮の法会:ほうえ)が行われ、最終日には池袋駅前から和紙で飾られた万灯(まんどう)が練り歩きます。
 行事同様、鬼子母神門前町の風情を守ろうとする姿勢は、地域を愛する地元力と言えそうで、また歩きたくなる町の大きな魅力と……

2019/09/09

先細りの地域文化──西早稲田

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2019.9.9にアップしました。

 盆おどりの提灯に導かれた西早稲田 天祖神社へと下る坂道は、大木が立ち並び子供がワクワクする異界入口のようで、そんな一角が残されるのも神社のおかげかと。
 神社を管理する高田馬場町会ホームページには、「300世帯弱の弱小町会で町会員の寄付金の負担や運営する人の高齢化などで大変です」とあります。待ちきれず昼間に訪れた子供たちが「まだやってないや」と楽しみにする行事ですから、地域文化を継承する方策はないかと……(右は神社近くの交差点)

2019/09/02

水にゆかりの深い──早稲田

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2019.9.2にアップしました。

 神田川沿いの傾斜地に広がる森は、斜面から染み出す湧水が育てたもので、江戸時代には高台から斜面全体が大名屋敷や庭園とされ、対岸の早稲田の水田を眺めていたようです。そんな田んぼに造営された大隈庭園は、戸山側から流れる蟹川の水を引き込んでいました。
 椿山荘にある湧水は、関東大震災では被災者に開放されたように、いざという時に水は重要なので、近所の災害時協力井戸や給水場所をチェックしておかねばと……

2019/08/26

ふるさとへの思い──神楽坂、早稲田

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2019.8.26にアップしました。

 新宿区に生まれた夏目漱石は、家の没落から数奇な運命・様々な経験を経た後、晩年に漱石山房の地に戻りますが、そこは弟子や知人が集うサロンと化します。創作活動のため面会日を定め「木曜会」と称したように多くの人に慕われたのは、教職で培った面倒見の良さによるらしい。
 当地に置かれる猫塚のレプリカには、「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」の猫は含まれないと思うが(小説の執筆は根津神社近くの「猫の家」とされる地)、小説の顛末が思い出せません……(右は、わが家をイメージしたような漱石山房記念館)

2019/08/19

様々な祈りの地──九段下、飯田橋

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2019.8.19にアップしました。

 靖国神社には右の大鳥居からの参拝が正しい様が見て取れます。
 軍人、軍属 等を主な祭神として祀る神社で、中央の大村益次郎の像から起源が明治期であることが分かります。彼は日本陸軍創始者との評価からこの神社に祀られますが、初代の陸軍元帥である西郷隆盛は西南戦争の反乱により、それまでの功績や名誉は消し去られたようです。
 戊辰戦争における新政府軍側の戦没者を合祀し、幕末の志士 吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作 等々も維新殉難者として合祀したのは官軍側の論理で、評価というものは立場によって変わります。異を唱えるつもりはないが(慰霊する気持ちはある)、近代日本史については、各自が評価できる程度に学ぶ必要があるように……

2019/08/12

夏の風情を伝える──神楽坂

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2019.8.12にアップしました。

 神楽坂まつりは、前半2日間 ほおずき市、後半2日間 阿波おどり大会が行われ、最終日には近隣店舗の軒先にほおずきが飾られています。鉢の下で揺れる風鈴の音色が、周辺の夏の風情に感じられます。季節感を大切にする町の姿勢は訪問者に好印象を与えますから、「来年はほおずきを見に来ようか」につながるのではないか。
 お盆では、ほおずきを死者の霊を導く提灯に見立てたそうで(漢字は鬼灯)、ガキ時分に供養のためと教えられたためか、母や祖母が実を揉みほぐし口に含んで鳴らしていた姿が、いまも記憶に残ります(わたしはすぐに破れてしまった)……

2019/08/05

未来を育てる──北の丸公園

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2019.8.5にアップしました。

 観覧自由に誘われ入った武道館(何十年ぶり?)では、全日本少年少女武道錬成大会が行われています。コンサートに足を運ぶばかりで、目的とされる「心身錬磨の大道場」の活気・熱気を初めて体感しました。武道には合気道・弓道・空手道・柔道・銃剣道・少林寺拳法・なぎなたが含まれます。右は、掛かり稽古(掛かり手が一方的に攻め、元立ちの師匠はあまり隙を作らない)を採点する様子。
 1964年東京オリンピック柔道競技会場として建設されて以来、様々なイベントに利用されますが、武道に限らず様々な聖地として記憶されることから、若人の育成という面では目的は達成されているように……

2019/07/29

城跡らしさを残す──竹橋

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2019.7.29にアップしました。

 パレスサイドビルのエレベーターホールは、現在でも斬新な印象を受けるカッコいいデザインです。利用ボタンがホール中央付近にありどれも比較的等距離なので、「あっちが来たか…」の不満を感じません。
 この構造は屋上階まで続くも(屋上は非開放日)半分のエレベーターはその階まで来ません。デザイン・利便性は優れていてもいまどきは、そのムダな空間を有効活用できないのかと叩かれますから、このように魅力的な空間はもう作れないかも知れないと……

2019/07/22

江戸下町のマスターピース──神田

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2019.7.22にアップしました。

 江戸のまちづくりの要として、下町(神田・日本橋・京橋)への水路「通り町筋(現 中央通り)」を整備し、江戸総鎮守として丘上に神田明神を遷座し、鎮守と共に暮らすことを神田っ子の誇りに仕向けた家康の狙いは見事に成功します。
 そこで生活する人々の地域への愛着から、新たな庶民文化や粋なカッコよさが生まれたようで、「江戸っ子だってねぇ」「神田の生まれよ!」と、チャキチャキの江戸っ子に胸を張る心意気を理解できた気がします……

2019/07/15

丘の上から見守る──外神田

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2019.7.15にアップしました。

 江戸時代は末広町付近まで神田とされますが、神田川が通されると川の北側+神田明神の丘陵地は外神田と呼ばれるようになります(命名・受け入れ側とも日本らしい)。
 神田明神は氏子地区(ほとんどが低地)を見守る丘の上に位置し、江戸初期の下町(神田・日本橋・京橋)で利用する生活用水路に近ため水の守護役としたならば、付近をまちづくりの要と考えた家康の眼力の鋭さがよく理解できます……

2019/07/08

厄を飛び越えろ!──湯島

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2019.7.8にアップしました。

 湯島天神には、夏越の祓(なごしのはらえ)の季節(6月末)に縁を感じていたので、神田明神から足を伸ばしました。
 祓(はらえ)は、罪・穢れや災厄等を心身から取り除くための神道の儀式で、一般に向けた大祓は6月と12月の晦日に行われます(お盆や新しい年を迎える準備とされる)。年末・年始ほど厳粛ではないが、神社らしい空気感に包まれるので「行っておこうか」と足を運ぶ方が多いようにも。
 茅の輪をくぐり病気や災いを免れるよう祈りますが、厄とは右のように飛び越えるべきものかもしれないと……

2019/07/01

記憶の手がかり──小伝馬町

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2019.7.1にアップしました。

 江戸時代には伝馬町(てんまちょう)牢屋敷があり、処刑された吉田松陰終焉の碑にはこの日も花が供えられます。牢内では時代劇で目にする、囚人による自治的な身分制度が確立されていたそうです。
 右は同地に移設された石町時の鐘で、鐘の音を受け処刑が行われるため、鐘を遅らせて処刑を延ばしたとの逸話も残されます。小雨模様で気分がネガティブなためか、ホームレス(?)が雨宿りする絵に、小説 羅生門の情景を思い浮かべました(階上に人はいません)。
 生き物である都市はいつの時代も変化を続けますが、記憶の手がかりが残されていれば、次の世代に伝えることができます……

2019/06/24

The Imperial Palace(皇居)

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2019.6.24にアップしました。

 近頃、外国人観光客がどこを歩いていても違和感を覚えなくなったのは、こちら側の感覚が慣らされたためで、ゾロゾロ押しかける「外圧」の迫力に、島国人も徐々に心を開かされているようにも。昭和期に盛んだった団体旅行の経験しかない世代の、拒絶せずとも気後れする人々は、町を歩きづらくなったのではないかと(わたしは通じないとジェスチャーになります)。
 ですが今後は、令和天皇・皇后が通訳なしで海外要人と会話する姿を目にする機会が増えそうなので、コミュニケーション能力を身につけようとする気運が高まりそうと……

2019/06/17

スマートになったビジネス街──大手町

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2019.6.17にアップしました。

 再開発で街並みがキレイになったと感じるのは、ビルの足元をすぼめて高層化したことにより空いた土地に歩道や緑地帯を整備したためで、とても歩きやすい町になりましたが、ビジネス街に温泉旅館や牧場という付録は不要と感じます。
 高層化された分だけ労働人口も増えますから、一帯の人口密度は高まる一方で、昼時のランチ競争も激しくなったのではないかと。仕事にかまけてランチ時間を逸し食いっぱぐれてしまうと、ロクなものを食べられませんしコンビニの棚も空になってしまいます……

2019/06/10

日本の中心にて──東京駅

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2019.6.10にアップしました。

 KITTE 6階テラスから眺める駅前広場はヨーロッパの街のようで、ミニチュアのような人影が思い思いに動き回る姿は見ていて飽きないし、修学旅行生の列ができても広さにゆとりがある様子に、これって重要! と感じたりします。
 以前の映画で目にした、車から降りてすぐ駅に駆け込めるような車の利便性優先から、人の往来を尊重する構造とされた姿に、これまで国が推進してきたことは、国民に便利そうと感じさせ企業の成長を後押しするもので、生活しやすさの向上ではなかったように思えてきます……

2019/06/03

遺産を生かすのが文化では──丸の内

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 江戸時代の丸の内に並んだ大名屋敷は、明治期に取り壊され陸軍兵舎・練兵場となりますが移転後は三菱財閥に払い下げられ、日本の中心地は三菱に牛耳られることになります。当時の財力がどれほどか想像できませんが、重要文化財として残される明治生命館(三菱グループ)には「うわ、すげぇ!」と圧倒されます。
 その一方、1968年解体〜2009年復元の三菱1号館美術館では、歴史的建造物保存に非協力的な三菱の姿勢が各方面から非難されました。現在の丸の内ブリックスクエアは「おしゃれな中庭」との評判から、ベンチには女性がビッシリ並ぶ人気ぶりで、商業的には成功に見えますが、歴史遺産を生かさずに新しい文化は生まれるのだろうか……

2019/05/27

行事が告げる季節感──京橋

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2019.5.27にアップしました。

 江戸時代から大相撲開催前日には、太鼓を打ち取組を知らせて回る「ふれ太鼓」がひいき筋を巡回してきたそうです。正装で挨拶を受ける姿には、祭事(奉納行事)の使者を迎えるような姿勢が感じられ、大相撲を季節の行事として受け入れる生活の暦が、現在の都心でも受け継がれているように。
  町並みは移り変わっても、人の営みが途絶えることは寂しく感じるため、慣習は可能な限り続けたいとの思いはとても理解できます……

2019/05/20

八重洲は後回し?

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2019.5.20にアップしました。

 東京駅は、丸の内口に皇居へと続く行幸道路が整備され、反対側に雑然とした八重洲繁華街があることで、トータル的にバランスが保たれる印象がありましたが、丸の内側再開発に目処が立った時分に八重洲側のヤンマービルが消えた光景を目にすると、「後回しにされただけ?」と、優先度の格差を感じたりします。
 駅舎は江戸期から繁華街のあった八重洲側ではなく、皇居と向かい合う丸の内側に建設され(皇居最優先は理解できるが)、その後しばらくの間は改札もなかったことも、国の姿勢のように……

2019/05/13

下町色残る日本の中心地──室町

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2019.5.13にアップしました。

 徳川家康は江戸時代、日本橋を五街道の起点として周辺に人・物資を集め日本の中心地としますが、もてはやされた京都へ向かう東海道側は日本橋の町名でも、北側の土蔵(室)が立ち並んだ地域は室町とされます(京都の室町にならったとも)。現在では橋を中心とした一帯が日本橋とされますが、江戸時代は「ウラ日本橋」的なイメージだったようにも。
 日本橋川の北側は神田明神の氏子地域(丸の内・大手町も含まれる)なので、5月11日の神田祭 神幸祭(しんこうさい)には三越前を山車行列が巡行します。

2019/05/06

「10連休」は最強の呪文──葛西臨海公園

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2019.5.6にアップしました。

 「10連休」の言葉には「言った者勝ち」的な力があり、「もちろん休みます!」「国民の権利ですよね!」など、日の丸を後ろ盾とした(?)強気な主張のため受ける側は窮してしまい、その言葉が発せられる前に釘を刺さねばと腐心された方も多いのでは?
 休むためなら前倒しの仕事がきつくても我慢できますが、休日だから働く人(繁忙期)、休めない人、休みたくない人もいますから、今回のような祝祭であっても分散して休めるような受け皿を用意すべきではないか(混雑を避けられれば遠出も選択肢になる)。
 とはいえ、機を逃すと休めないのも確かで、「10連休」という呪文に乗っかった方も多いのではないか……

2019/04/29

時代──日本橋

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2019.4.29にアップしました。

 日本橋高島屋の玄関には平成天皇・皇后の成婚パレードで使用と同型の儀装馬車が展示されており、この日お二人で見学された様子をニュースで目にしました。
 同時代で知る天皇は二人ですが、ひとり矢面に立たされた昭和天皇以上に、人々と同じ目線で対話するよう努めた平成天皇からは、象徴天皇を模索する強い意思が感じられました。もちろん天皇の努力に違いないが、皇后のサポートや助言が大きな役割を果たしたことと(嫁ぐ際の心意気を貫いた姿勢は立派)。
 大きな災害は多かったが、戦争のない時代として終えられたことを昭和天皇に報告することが、平成天皇の使命だったのかも知れないと……

2019/04/22

身の危険を感じる──茅場町

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2019.4.22にアップしました。

 茅場町駅は地下鉄 東西線と日比谷線の接続駅で、乗り換えの階段は西船橋(北千住)側しかないため、朝夕のラッシュ時には大渋滞します。混雑は仕方ないも、狭いホームですれ違う際には、転んだ巻き添えで線路に転落する身の危険を感じます。注意を促すための人間ホームドア(ホームの端で両手を広げて並ぶ)を考えた人は、自分でその場に立ったことがあるのだろうか?
 日本一の混雑路線解消への改良工事とされる、ホーム延伸と階段・エスカレーター新設は2022年度供用開始予定とありますが、ホームドア設置が25年予定というのは順番が違うような気がします……(右は霊岸島水位観測所)

2019/04/15

春は隅田川

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2019.4.15にアップしました。

 隅田川の水上バスは外国人観光客も多いため、混雑で乗降に時間がかかるらしく、接岸待ちの船が並んで待っている状況です。この日のフワフワと浮ついた空気感が外国人観光客にも伝わる様子は、ゆるんだ表情から見て取れます。
 「花」(瀧 廉太郎)に歌われた「春のうららの 隅田川」の景色は変わっても、われわれには春のにぎわいを川に求める習性があるようで、隅田川に引き寄せられます……

2019/04/08

深川の華

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2019.4.8にアップしました。

 富岡八幡宮参道に並ぶ着物姿の集団は、映画の制作発表のような華やかさがありますが、囃し立てる取り巻きオヤジの声から想像される年代のようです(表現が難しい…)。詳しい理由はわかりませんが(稽古事の仲間?)、ハレ姿はこの場所でと八幡宮にたたずむ姿に「深川の華」という表現が浮かびました。
 育ててもらった町で胸を張る姿はまぶしく、華やかさでの恩返しを受け止める寛容さも下町の魅力のように……

2019/04/01

水辺利用の変遷──深川沖(越中島)

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2019.4.1にアップしました。

 江戸時代の永代通りは海沿いの道で、門前仲町付近では後に海岸沿いに整備された大横川(運河)と並ぶ様子が見られます。通りの陸側には富岡八幡宮、深川不動堂がありましたから、海沿いに軒を連ねた料亭はにぎわったようです。当初の江戸前とは、隅田川や深川付近で捕れるウナギを称したそうで、富岡・不動詣で帰りに江戸前のウナギという趣向は、当時のテッパンだったと。
 現在付近の料亭は一軒となりますが、河川敷地を利用した川床(かわゆか)が整備され、飲食スペースとしての営業が始まりました。
 右は東京海洋大学の明治丸。

2019/03/25

0.5mの安堵感──門前仲町

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2019.3.25にアップしました。

 門前仲町駅の「この出入口は海抜0.5m」表示を目にし、ちょっとショックを…… 区民の方には申し訳ないが、これまで江東区は全域がゼロメートル地帯と思い込んでいました。
 転居時に調べた地盤高図を見直してみれば、東側の荒川周辺がもっとも沈下が激しく、亀戸〜大島〜南砂町付近や、江戸川区の荒川沿い(西葛西を含む)に最低レベルの区域が点在しますが、西側の隅田川沿いの沈下は軽微らしい。
 状況を正しく理解すると、地域文化の歴史、隅田川に架かる橋の多さ(避難しやすさ)に加え「プラス0.5m」と、生活条件を満たす魅力的な地であることを納得できます……

2019/03/18

残したい思い──深川

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2019.3.18にアップしました。

 庶民の町として知られる名称は、江戸時代に摂津国から移住し周辺を開拓した深川氏に由来し、現在も町名として門前仲町北側の狭い地域に残ります。
 何をするわけでもないのに、つい誘われてしまう場所が点在しているのは、残っているのではなく、残そうとする思いが受け継がれているように。子供が関心を抱く遊び場には地域の特性があり、遊ぶことから思いを感じてくれれば、バトンは繋がるのではないかと……

2019/03/11

水彩都市を演出する──木場

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2019.3.11にアップしました。

 木場地区自慢の深川ギャザリアでは、江東区が目指す水彩都市を後押しする、水を利用したイベントゾーンや地域の自然環境を再現したビオガーデンを設置しています。
 区の取り組みとして、殺風景な水路に架けられるトラス橋などの橋をアピールすれば絵になりますし、デザインには下町らしい見栄やこだわりが見られるので、地域文化として注目されることと……

2019/03/04

背筋が少し伸びるころ──木場公園

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2019.3.4にアップしました。

 木場公園にある都市緑化植物園は、自分たちで手入れ可能な植物・庭の見本が並ぶようなガーデンで、手入れする方々も自分の庭のように愛着を持っているように見えます。庭を持てない人が草木を育てられる施設としたらマニアは集まるとしても、収拾がつかなくなりそうです。
 また、様々な犬&飼い主でにぎわうドッグランで大型犬が走り回る姿を見られないことも、飼育スペースや、庭を持てないためらしいが、この公園のサポートは庶民生活に多少のゆとりを与えてくれるのではないかと……

2019/02/25

記憶は薄れても──旧洲崎

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2019.2.25にアップしました。

 洲崎(すさき)は江戸期の埋立地で、当時は「東に房総半島、西は芝浦まで東京湾をぐるりと手に取るように眺められる景勝地」から、初日の出の名所として人気を集め、大正期には海水浴場として(潮干狩りも楽しめた)にぎわいました。ですが、洲崎遊郭〜洲崎パラダイスとして定着したイメージを払拭するため(?)、住居表示実施に伴い東陽一丁目と変更され、その名称は抹消されます。
 人の記憶は年月とともに薄れていきますが、古い埋立地が受けた地盤沈下の影響は残り続けます……

2019/02/18

発展を願って──東陽町

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2019.2.18にアップしました。

 東陽町という響きに下町らしさが感じられないのは、1967年「発展を願って名づけられた」ためで、現在の東陽町駅付近には72年に廃止された城東電車洲崎線(路面電車)の洲崎停留所があり、遊郭で知られた名ではなく明るいイメージの名称にしたかったようです。
 東京イースト21として建設された複合商業施設(ショッピングモール、ホテル、イベントスペース、オフィスビル:1992年)のシンボルは太陽と月で、以前の水路に挟まれた資材置き場の記憶を消し去り、区役所に近い江東区のランドマークとしてアピールする姿は(鹿島建設による)、東から昇る太陽をイメージしたものか……

2019/02/11

外国人旅行者にも伝わる──砂町

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2019.2.11にアップしました。

 商店街の総菜店に並ぶ品々はどれも晩のつまみにしたいものばかりで、右は独り身と思われるじいさんが、「これ!」と指差しておでんの具をひとつずつ取ってもらう様子。自分が気に入ったモノを買えるシステム(?)こそ買い物の醍醐味なのに、いつしか「おまかせ」を粋と思い込むようになったのは、単に横着になっただけかも知れないと。
 近頃の外国人旅行者にはマニアックな場面が受けるようで、ガイドが焼き鳥屋の前で日本酒を勧めています。昼間っから焼き鳥で一杯が最高の贅沢との説明は、外国人にも伝わっているように見えますし、お茶屋で試飲する姿には、お茶の味を気に入ってくれたらうれしいだろうとも……

2019/02/04

まだまだ変わる──みなとみらい

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2019.2.4にアップしました。

 日産本社ビルを出てあらびっくり! 新高島駅周辺にあった映画館等の建物が跡形もありません。10年間の期限付き借地契約のため2015年に閉館したそうで、そういえばずっと前に「期限付きの借地なんだって」と書いた記憶があります。地主の横浜市は、周辺の開発も進み地価も上がったのでボチボチ売り時と考えているのか?
  横浜市の、できるだけ高い値段で売りたい気持ちは分かりますが、作った建造物を10年で壊すってのはエコ志向の民意に反しますし、ヨコハマはG30(ごみゼロ)を目指していたはずと……(右は横浜税関屋上から)

2019/01/28

馬が似合う──横浜

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2019.1.28にアップしました。

 みなとみらい線 馬車道駅から「ホースメッセ」が開かれる赤レンガ倉庫へ向かう道で目にした、帰路の方が持つ馬の絵柄の袋が町の空気感にフィットする様に、馬が似合う町という側面もあるのかと。
 イベントも3回目となり、ようやく馬たちを連れて来られるようになったので、馬見物にと初めて足を運びます。馬が歩ける馬場の整備、会場・厩舎の準備に加え、馬を運ぶ専用のトラックが必要ですから、内容はともかく(?)馬を赤レンガ倉庫に連れて来ただけでも賞賛に値すると……

2019/01/21

低い土地の苦悩──南砂町

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2019.1.21にアップしました。

 仙台堀川公園では、以前北側の小名木川方面から歩いた際の記憶と、南側の東西線 南砂町駅との位置関係がつながりました。公園に保存される旧大石家住宅(右:江戸時代)は、安政の大地震、大正の大津波、関東大震災、戦災等の被害をまぬがれた建物で、その囲炉裏火で地域の安寧を祈るようにも。
 付近では、大正期に始まり特に戦後の工業化により急速に進んだ地盤沈下が著しいため、水害対策として仙台堀川は埋め立てられ公園とされました。その後に埋め立てられた海側では、地盤沈下を補正した基準高に土が盛られますが、その境にある南砂町駅では出入口だけがかさ上げされています……

2019/01/14

橋は立派になっても──荒川

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2019.1.14にアップしました。

 荒川放水路は、関東大水害(1910年:明治43年)で大きな被害を受けた首都の水害対策として、岩淵水門〜中川河口までを開削した人工河川(1930年:昭和5年)になります。
 そこに当初架けられた旧葛西橋(木造橋)の老朽化から現葛西橋(右)が新設されたように、橋は生活に欠かせないライフラインです。2004年完成の清砂大橋は、災害時の一般緊急輸送道路(重要施設)とされる路面の高い立派な橋ですが、洪水・高潮等の際には、両岸のゼロメートル地帯を結ぶ橋だけが水面上に浮かんでいても、そこまでたどり着けないようにも……