2019/05/13

下町色残る日本の中心地──室町

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2019.5.13にアップしました。

 徳川家康は江戸時代、日本橋を五街道の起点として周辺に人・物資を集め日本の中心地としますが、もてはやされた京都へ向かう東海道側は日本橋の町名でも、北側の土蔵(室)が立ち並んだ地域は室町とされます(京都の室町にならったとも)。現在では橋を中心とした一帯が日本橋とされますが、江戸時代は「ウラ日本橋」的なイメージだったようにも。
 日本橋川の北側は神田明神の氏子地域(丸の内・大手町も含まれる)なので、5月11日の神田祭 神幸祭(しんこうさい)には三越前を山車行列が巡行します。

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