2015/08/31

これが日本のおもてなし──白山付近

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【東京都】──「神田川を歩く_32」
2015.8.31にアップしました。

 庭木職人さんの手元を見ていると、何と、松葉を一本ずつ間引いているらしい。なるほど、これまで庭園の庭木に感じた細やかさは、「そこまで神経を使うの!?」という職人さんの地道な手入れに支えられていたようです。
 この姿に接し、「日本のおもてなし」を支える裏方仕事を味わうには、受ける側にも観察眼が要求される奥深さがあること、実感しました。
 継承と工夫で観る者を楽しませる姿の、何という美しさ!

2015/08/24

行楽地だった川の記憶──旧谷端川-2

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【東京都】──「神田川を歩く_31」
2015.8.24にアップしました。

 大塚には三業地(料理屋・置屋・待合が営業)があり、マイナーながらも花街(かがい)の顔を持ちます。
 1919年に始まり、最盛期には芸者も150名を数え、F1ドライバーのミハエル・シューマッハも訪れたそう。
 山手線内側の旧谷端川沿いに広がり、現在も営業中と思われる料亭がありますが、掲示される「大塚芸者」の新聞切り抜きは日付が古く、「大塚三業組合」ホームページもアクセス不可なので、現在の営業については確認が取れません。
 川沿いに遊興地が開けたのは、川が行楽地とされた時代背景によるのでしょう……

2015/08/17

川辺に駅を誘致した──旧谷端川-1

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【東京都】──「神田川を歩く_30」
2015.8.17にアップしました。

 以前、山手線大塚駅に地下鉄建設が計画されるも、旧谷端川に面するため困難とされたそうですが、現在の鉄道路線が旧谷端川と交差する付近には、どこも駅が存在します。
 都市化により川は姿を消しても、町が水辺に発展した痕跡は駅という姿で残されます。
 そして、町をつなぐ役割は鉄道に引き継がれています……

2015/08/10

「闇市の本場」池袋──旧水窪川

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【東京都】──「神田川を歩く_29」
2015.8.10にアップしました。

 池袋から少し離れた自衛隊朝霞駐屯地には終戦まで陸軍施設があり、米軍接収後「キャンプ・ドレイク」とされ、朝鮮戦争・ベトナム戦争の後方支援基地となります。
 基地からの流出品が集まる池袋では闇取り引きが横行し、当時「闇市の本場」と表現される地域だったようです。
 巣鴨プリズン(戦争犯罪人の収容施設)は、接収前+返還後も東京拘置所とされたため、地域にとってサンシャインシティの再開発(1978年)は、まさに日が昇るような希望の光だったのではないか……

2015/08/03

旧川筋に続く営み──旧弦巻川

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【東京都】──「神田川を歩く_28」
2015.8.3にアップしました。

 池袋ウエストゲートパーク(西口公園)では「東京フラフェスタ in 池袋」が開催されています。
 152チーム(約4,000人)の老いも若きも(子供たちも練習する)が集結するイベントですが、ムームー(ハワイ女性のドレス)姿のおばちゃんが多く、喫煙所はスナックママの溜まり場のよう……
 われわれには「フラダンス」の表現がなじみますが、「フラ」はダンスの意味も含むハワイの宗教的総合芸術を意味します。
 こちらも宗教的行事とされるリオのカーニバルでは、サンバでパッションを爆発させますが、島国育ちとしてはフラに込められる心情に親近感を覚えます……