2019/07/29

城跡らしさを残す──竹橋

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2019.7.29にアップしました。

 パレスサイドビルのエレベーターホールは、現在でも斬新な印象を受けるカッコいいデザインです。利用ボタンがホール中央付近にありどれも比較的等距離なので、「あっちが来たか…」の不満を感じません。
 この構造は屋上階まで続くも(屋上は非開放日)半分のエレベーターはその階まで来ません。デザイン・利便性は優れていてもいまどきは、そのムダな空間を有効活用できないのかと叩かれますから、このように魅力的な空間はもう作れないかも知れないと……

2019/07/22

江戸下町のマスターピース──神田

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2019.7.22にアップしました。

 江戸のまちづくりの要として、下町(神田・日本橋・京橋)への水路「通り町筋(現 中央通り)」を整備し、江戸総鎮守として丘上に神田明神を遷座し、鎮守と共に暮らすことを神田っ子の誇りに仕向けた家康の狙いは見事に成功します。
 そこで生活する人々の地域への愛着から、新たな庶民文化や粋なカッコよさが生まれたようで、「江戸っ子だってねぇ」「神田の生まれよ!」と、チャキチャキの江戸っ子に胸を張る心意気を理解できた気がします……

2019/07/15

丘の上から見守る──外神田

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2019.7.15にアップしました。

 江戸時代は末広町付近まで神田とされますが、神田川が通されると川の北側+神田明神の丘陵地は外神田と呼ばれるようになります(命名・受け入れ側とも日本らしい)。
 神田明神は氏子地区(ほとんどが低地)を見守る丘の上に位置し、江戸初期の下町(神田・日本橋・京橋)で利用する生活用水路に近ため水の守護役としたならば、付近をまちづくりの要と考えた家康の眼力の鋭さがよく理解できます……

2019/07/08

厄を飛び越えろ!──湯島

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2019.7.8にアップしました。

 湯島天神には、夏越の祓(なごしのはらえ)の季節(6月末)に縁を感じていたので、神田明神から足を伸ばしました。
 祓(はらえ)は、罪・穢れや災厄等を心身から取り除くための神道の儀式で、一般に向けた大祓は6月と12月の晦日に行われます(お盆や新しい年を迎える準備とされる)。年末・年始ほど厳粛ではないが、神社らしい空気感に包まれるので「行っておこうか」と足を運ぶ方が多いようにも。
 茅の輪をくぐり病気や災いを免れるよう祈りますが、厄とは右のように飛び越えるべきものかもしれないと……

2019/07/01

記憶の手がかり──小伝馬町

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2019.7.1にアップしました。

 江戸時代には伝馬町(てんまちょう)牢屋敷があり、処刑された吉田松陰終焉の碑にはこの日も花が供えられます。牢内では時代劇で目にする、囚人による自治的な身分制度が確立されていたそうです。
 右は同地に移設された石町時の鐘で、鐘の音を受け処刑が行われるため、鐘を遅らせて処刑を延ばしたとの逸話も残されます。小雨模様で気分がネガティブなためか、ホームレス(?)が雨宿りする絵に、小説 羅生門の情景を思い浮かべました(階上に人はいません)。
 生き物である都市はいつの時代も変化を続けますが、記憶の手がかりが残されていれば、次の世代に伝えることができます……