2015/03/30

「いいお彼岸だ……」──高円寺

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【東京都】──「神田川を歩く_12」
2015.3.30にアップしました。

 普段、有名どころ以外のお寺は閑散としていますが、春分の日にはどの寺も墓参りの方々でザワつく空気感があります。
 先祖に感謝する「季節の慣習」とは、「無事に冬を越し、春をむかえられた」報告であり、季節感を身近に感じる民族ゆえ広く受け入れられたのではないか(806年 崇道天皇が開いた彼岸会(ひがんえ)をルーツとする日本独自の慣習)。
 右の手水鉢(ちょうずばち)に浮かぶ花は、寺から墓参者への心遣いに違いなく、こんな「おもてなし」を介し相手を思う感性こそが、「日本の美意識」という気がします……

2015/03/23

西の鎌倉、東の荻窪──荻窪

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【東京都】──「神田川を歩く_11」
2015.3.23にアップしました。

 荻窪駅前を通る青梅街道は、江戸城の漆喰に必要な石灰を青梅から運ぶために整備され、大正期から新宿〜荻窪間の街道上を路面電車が走りましたが、その地下に丸ノ内線が開通し役目を終えます。
 大正・昭和初期には、「西の鎌倉、東の荻窪」とされる近郊の別荘地だったらしいも、鎌倉に比べインパクトが弱いため「別邸」的なニュアンスだったのではないか?
 ですが、現在憩いの場とされる大田黒邸や角川邸に漂う「文化の香り」には、文化を広め、根付かせた輩を「文化人」と呼んだのかとも……

2015/03/16

平和利用から生まれた夢──西荻窪周辺

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【東京都】──「神田川を歩く_10」
2015.3.16にアップしました。

 防災公園&集合住宅として再開発された広大な土地には、戦時中まで中島飛行機東京工場(戦闘機工場)がありました(後の日産自動車荻窪工場)。
 戦後、中島飛行機解体後の富士精密工業時代に、東大生産研究所と共同でペンシルロケットが開発され、ロケット発祥地の碑が残ります。
 この地で産声を上げた国産のロケット技術は、現在の「H-IIAロケット:はやぶさ2打ち上げ等」に受け継がれるものです。
 この地で育った子どもたちが、その経緯を理解し宇宙への夢を抱けるように、アピールいていくべきと感じました……

2015/03/09

善き心で福の到来を祈る──善福寺池

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【東京都】──「神田川を歩く_9」
2015.3.9にアップしました。

 善福寺という響きから「善き心を持ち、福の到来を祈る」精神を受け止め、「郷に入っては郷に従え」を心掛ければ穏やかな気持ちになれそうと思うのは、単なる幻想か?
 池の名称は、以前ほとりにあった善福寺(廃寺)に由来しますが、現在付近にある善福寺は後の改名とされ、麻布十番の善福寺は無関係との見方もあるらしい。
 ですがいずれも、こころが暖まる名の元で祈りたい思いによるのではないか……

2015/03/02

記憶に残る文様──永福町〜中野富士見町

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【東京都】──「神田川を歩く_8」
2015.3.2にアップしました。

 「ほら、やっぱり地下鉄の入れるとこ隠してますよ!」
 春日三球・照代の「地下鉄漫才」(1970年代ですって…)にかけたつもりですが、知らない人も多そう……
 「垣根の奥で、掘り出した地下鉄を洗ってるんじゃないですか?」
 市街地で人通りの多い場所柄、脇の歩道橋にも遮蔽版があり迷惑行為防止に懸命なので、木々の合間からのぞきました。
 大江戸線木場車庫では地下までクレーンで下ろすらしい等、実際に見ていない認識のあいまいな部分へのツッコミが受けたようです。
 車体文様だけで丸ノ内線と伝わるデザインは1996年に姿を消しますが、多くの要望により2010年に復活します。やはり「これが丸ノ内線」ですよね……