2013/12/30

「逆さま」という視点──練馬春日町〜光が丘

【東京都】──「大江戸線を歩く_28」
2013.12.30にアップしました。

 前日の雨で出現した水たまりが遊び場となるこの区域は「プレーパーク」とされ、施設管理者の元であれば火を使うことも許される、子どもたちの「自由空間」です。
 右の絵から宮沢賢治の世界を想起したので調べると、「逆さま」というキーワードを目にします。
 鏡で左右の逆を知り、水たまりから天地(上下)の逆を知ることにより、物体や事象の奥行きを学んでいくという、素晴らしい視点!
 「そこに映る姿はボクに似てるけれど、どうしても自分とは思えない」(創作です)、などと悩みながら世界を広げていくのでしょう……

2013/12/23

エルドラドの夢──豊島園〜練馬春日町

【東京都】──「大江戸線を歩く_27」
2013.12.23にアップしました。

 としまえんの回転木馬は、1907年にドイツで製作され「カルーセルエルドラド」の名を持ち、日本に現存する最古の遊戯機械として2010年「機械遺産」に認定されます。
 彫刻はすべて木製の手彫り(もちろん木馬も)だそうで、細部を見ると子ども向けではない、作者のロマンや世界観が込められた、芸術作品的な味わいがあります。
 アメリカで乗ったとされるアル・カポネは、退廃的な「黄金郷:エルドラド」を夢見たのではあるまいか。
 そんな舞台にロバート・デ・ニーロが登場したならば、馬の表情も豹変し倒錯した世界になりそうな怪しさを秘めています……(そんな映画のシーンありましたっけ?)

2013/12/16

若く見えるのはなぜ?──練馬〜豊島園

【東京都】──「大江戸線を歩く_26」
2013.12.16にアップしました。

 子どもを見守る今どきのお母さんの姿はカッコよく、自分の小学生時代と比べると、初産高齢化とされ年齢は高いはずなのに、若く見える気がします。ナチュラルな化粧やカジュアルな格好は、活動的と感じるさせる力がありそうです。
 あおりを受けるオヤジたちはイッパイな上に、パートで働く奥さんからグチの先制攻撃を受けると、グチも封じられ言葉数も少なくなります。
 ガキの頃と現在の視線は違うにしても、「お母さんは若く見える」に対し「オヤジは変わらない」ですから、「オヤジ頑張ってるか〜⁉」のエールを送りたくなります……

2013/12/09

学生街+商店街の楽しさ──新江古田〜練馬

【東京都】──「大江戸線を歩く_25」
2013.12.9にアップしました。

 西武池袋線江古田駅は三大学キャンパスの最寄り駅で、駅を中心とした狭い地域に肩を寄せ合い活気を生み出す商店街に、通った大学近くの京王線下高井戸駅周辺を想起します。
 関東大震災(1923年)以降、地方からの流入者は下町ではなく高台を目指すようになり、武蔵野の人口が爆発的に増加し、東武東上線、西武線、中央線、京王線、小田急線、東急線沿線に、庶民の町が誕生します。
 商店街に感じるなじみやすさや親しみは、食料品や日用品を扱うからではなく、日常生活の一部となる「アイコンタクト:あいさつ」や「仲間意識」の楽しさにあることを、ひとりで暮らすようになって実感するようになります……

2013/12/02

受け継がれる遺産──落合南長崎〜新江古田

【東京都】──「大江戸線を歩く_24」
 2013.12.2にアップしました。

 モスクのようにも見えますが、この建造物も人々に「安心感」を与えてくれる施設です。
 この塔は、関東大震災(1923年)後の東京市近郊の急激な都市化による水需要の要請から、世田谷区喜多見の砧(きぬた)浄水場から多摩川の水を引いた「荒玉水道」の配水塔で、現在は中野区の災害用給水槽として活用されます。
 通った大学に近い京王線桜上水駅前の一直線に伸びる道は、導水管上に設置された荒玉水道道路で、真っすぐでも道幅が狭い上に電柱が邪魔で走りにくい道でした……

2013/11/25

哲学(考えること)の必要──中井〜落合南長崎

【東京都】──「大江戸線を歩く_23」
 2013.11.25にアップしました。

 若い時分、頭の中の考えを具象化することは困難と思っていましたが、オヤジになると「具体化以外に表現法はない」ことを学び、臨機応変の対応に腐心することになります。
 さまざまな局面でヒントを与えてくれる「哲学(考え方)」は普遍的な考え方であるため、具象・具体化の実践はわれわれ自身に託されます。その苦悩が「生き様」の証しになるというのが、哲学の導きではあるまいか。
 ですが、普遍的な導きからは「考え方は間違っていない」「方向性は同じ」でも、数学の解のように同じ結論に至ることはまずありません。
 それこそが数々の「哲人」たちが訴えてきた、世の中の「多様性」「豊かさ」につながることなのだと思います……(右は哲学堂公園)

2013/11/18

ビニール袋を握りしめる充足感──東中野〜中井

【東京都】──「大江戸線を歩く_22」
 2013.11.18にアップしました。

 下落合駅近くで元気な鮮魚店に出会い、その光景に若い時分に通った商店街の様子を想起しました。
 魚屋(当時シメサバが大好物)、豆腐屋(家で厚揚げ・がんもを焼いた)、肉屋(唐揚げがおいしい)で、それぞれ単品で買うためレジ袋には入れてもらえず、持ち手のない透明のビニール袋の端を握りしめ、ぶら下げ帰る際の充足感を思い出します。
 今でも店のオヤジやおばちゃんの顔まで思い出せることから、「地元付き合い」だったと改めて感じます。
 近ごろもコンビニやスーパーの店員さんの顔は覚えても入れ替わりが多いので、いつの間にか記憶から消えることが当たり前になりつつあります……

2013/11/11

JR中央沿線文化──中野坂上〜東中野

【東京都】──「大江戸線を歩く_21」
2013.11.11にアップしました。

 JR中央線の快速通過駅、大久保・東中野を利用した記憶はなくても、大久保には新宿の残り香が、東中野には中央沿線独特の文化が漂う印象がありました(歩いて納得)。
 その起源は、関東大震災以降の東京への流入者が、被害甚大な下町ではなく山手郊外を目指したため、江戸っ子と違う各地方のごった煮文化圏が生まれたのでは、と推測します。
 なんでもあり=よく分からない面もあるが、どこの出身者でも気取らず暮らせる生活圏が形成され、独自の空気感が生まれたのではあるまいか。その一方で、気心知れた途端にベタベタ感が生まれる地域(人恋しい連中のたまり場)という気もします……(右の物体は何なのだろうか?)

2013/11/04

染みついた記憶──西新宿五丁目〜中野坂上

【東京都】──「大江戸線を歩く_20」
2013.11.4にアップしました。

 このホテルはアラーキーが撮影に使用したとされ、本能的欲求をあるがままに受け入れてくれる施設だったようです(2000年閉鎖)。
 この階段には、男女がさまざまな決断をしたであろう生々しさが、いまも残るような印象があります。
 同所の階段上から見下ろす奧には、水辺こそがふさわしく(井の頭公園を想起する)、心中でなくてもある種の「覚悟」を持たねば進めない、いばらの道へと続く階段だったようにも思えます。
 結論はいかようでも、この地に染みついた記憶は、墓場まで連れて行く類のもののように感じられます……


2013/10/28

温泉とガスタンク──都庁前〜西新宿五丁目

【東京都】──「大江戸線を歩く_19」
2013.10.28にアップしました。

 現在パークハイアットホテルの地には以前、ガスタンクが並びました。当初は円筒形で貯蔵量により天板が上下するものでしたが、1975年頃球形のものに建て替えられます。球形の印象が残るわたしの記憶は古いものではないようです。
 ガスタンクが作られる前は「梅屋敷銀世界」が存在したと目にし、何と魅惑的な響き! と。
 江戸時代、都庁を含めた一帯には館林藩・秋元家の梅林があり、そこに「銀世界」という梅屋敷があったとのこと。
 銀世界とは、梅の花を「白銀の花が咲く如く」という、見事な表現によります……

2013/10/21

地震への覚悟──御前崎、浜名湖周辺

【静岡県】──「東海道をゆく_4」
2013.10.21にアップしました。

 右は焼津市街にある津波避難施設ですが、付近にある学校などの避難場所に比べ、キャパの少ない施設です(現在準備中)。
 関係者の話しでは「避難場所は学校等の高いコンクリート製の建物で、ここは逃げ遅れた人の緊急避難施設」とのこと。想定の津波高は2階以下の高さらしい。
 市で確保した指定津波避難ビル、民間津波避難協力ビルでは足りないとはいえ、市街地での避難所設置は敷地確保から始まるため、おいそれと建設できないことも確かです。
 ここはモデル施設かも知れませんが、住民に避難意識を根付かせるためにも増やすべき施設と感じます……

2013/10/14

谷間で汽笛を聞きながら──大井川鉄道

【静岡県】──「東海道をゆく_3」
2013.10.14にアップしました。

 大井川鉄道のSLはサービス満点で、機関車は見えなくても「遠くで汽笛を聞きながら♪」の煙と汽笛が徐々に近づいてくる高揚感には、しびれるものがあります。
 運転手(機関手が正しいか?)も見せ場と心得ていて、橋の上では汽笛も煙も大サービスでアピールしてくれます。
 「久しぶりなの〜」と涙ぐむおばあさんの蒸気機関車に対する郷愁には、時代背景を含め複雑な思いがあることでしょう。
 「キターッ!」の瞬間からあっという間ですが、迫力ある走りには「カッケー!」とほれぼれしますし、郷愁感を持たない若者に人気があることもよく分かります……(右は塩郷の吊橋)

2013/10/07

記憶をつないだ──登呂遺跡・三保・丸子

【静岡県】──「東海道をゆく_2」
2013.10.7にアップしました。

 登呂遺跡に小学校の社会見学で来た記憶には「隣県でも遠かった」「何でここまで来たのか?」の印象がありました。
 当時までに発見された遺跡は数多くあっても、建物を復元する遺跡の先がけだったのか? 単に行き先選定会議で、社会の先生案が通ってしまったのか?
 現地での記憶はほとんど無いものの、ガキ時分に登呂の火起こし像を目にしたらしばらく盛り上がっただろうとも。火起こし体験とかしたのだろうか……

2013/10/03

富士山麓水の恩恵──三島・富士

【静岡県】──「東海道をゆく_1」
2013.10.3にアップしました。

 静岡県は、接する神奈川県育ちのせいか「いつでも行ける」意識から、富士・伊豆以外は後回しとなりました。
 品川〜三島はひかりで30分程度の近場感が逆に、近くて遠い場所としたのかも知れません。
 三島で最初に染み込んできたのは「豊かな水」の印象で、富士山から流れ出た「三島溶岩」は先端の地に、堅固な地盤と伏流水の恵みをもたらしました。
 豊かな湧水が人々を呼び寄せたようです……

2013/09/23

新宿アンダーグラウンド

【東京都】──「大江戸線を歩く_18」
2013.9.23にアップしました。

 9月10日の晩、都庁前の都民広場で開かれた『五輪開催決定都民報告会』では、一部から「イノセ(キではない)コール」が聞かれましたが、あれは知事の要請か?
 熱気は去りましたが、以来町の人々には明るさが感じられます。
 そこで耳にする「また東京だけでしょ!?」の声に対する第2の矢となるのか、2027年開業を目指した「リニア中央新幹線ルート案」が発表されました。
 新旧沿線は悲喜こもごもでも、ようやく復活の兆しが見えはじめたこの国に、未来が感じられたような気がします……

2013/09/16

摩天楼で抱いた夢──新宿西口〜都庁前

【東京都】──「大江戸線を歩く_17」
2013.9.16にアップしました。

 学生時代にはまだ数少なかった高層ビル群ですが、「未来の象徴」への関心から高層階の大衆パブ的な店によく足を運びました。
 町を見渡し「青き夢」を抱いた場所は、何ひとつ成せなかったと素直になれる場所ともなります。
 建設当時は三角の形状で注目されるも、今どきは「地震に強そう」と見る目は変わりました。
 東日本大震災では被害の報告があったらしく、三角の構造は強そうでも、高層ビルでは上・下部での揺れの差が影響するようです。
 次の手には、ペンタゴンの「五角形」が強そうに思えますが……

2013/09/09

隣人と無垢に遊べる日──東新宿〜新宿西口

【東京都】──「大江戸線を歩く_16」
2013.9.9にアップしました。

 以前山手線の車窓から、新宿の職安付近で仕事を求める人の群れを目にした記憶があります。
 コリアタウン大盛況の現状からは、朝鮮半島出身者がらみと想像できますし、この日「やはり」と受け止めたことで古い記憶がよみがえりました。
 半島出身の出自を持つ小学校の同級生が「お前知らないのか?」と、放課後はクラスメートを遠ざけていた事に思い至ります。
 それは社会認識をゆがめてしまった教育の残滓のせいとしても、以前には現在とは比較にならない「被差別意識」を抱き、過ごしたであろう人々がいました……

2013/09/02

苦学生とともに──若松河田〜東新宿

【東京都】──「大江戸線を歩く_15」
2013.9.2にアップしました。

 西早稲田の路地にはいまも下宿屋のたたずまいが健在ですが、むかしの貧乏学生がひどかったことを、五木寛之『青春の門』とシンクロする人は多いのではあるまいか。
 道すがら、ヒロイン織江の「信介しゃん」の声を耳にした錯覚は、若い時分に背伸びしたあこがれが呼び覚まされるようでもあり、なんだか胸がざわざわしてくる。
 サッシ窓の部屋に暮らす現代の苦学生に、この町はどう映っているのだろう……

2013/08/26

明治期の再開発地域──牛込柳町〜若松河田

【東京都】──「大江戸線を歩く_14」
2013.8.26にアップしました。

 明治期の若松・河田町周辺は、広大な武家屋敷跡地に病院・学校など大規模施設、守り継がれる(?)住宅地の狭い路地や、蔵を構えた商家の名残など、多様な人を集めるための整備が行われたようです。
 駅名にある両町とも「丁目」のない単独町名で面積も狭いため、併記で地域をアピールしますが、牛込柳町同様「バス停のネーミング」的なローカルさがあります。
 計画された若松町駅の名称は、フジテレビ移転による河田町衰退防止策で変更されたそうです。
 その成果? なのか、河田町玄関口の地下鉄新宿線曙橋駅前の「あけぼの橋通り商店街」には、いまも活気が感じられます……

2013/08/19

国を守る仕事──牛込神楽坂〜牛込柳町

【東京都】──「大江戸線を歩く_13」
2013.8.19にアップしました。

 防衛省の門では、ドスを利かせてにらみ付ける門番のような守衛(OB or 警察出身?)の迫力に威嚇され、のぞき込むような撮り方はできません。
 北朝鮮のミサイル発射の際、迎撃用パトリオットミサイル(PAC-3)は市ヶ谷にも設置されました。
 ここに配置されたミサイルは「自衛活動のために本部を守る」を第一義とするもので(戦場では軍隊を守るために戦う、に同じ意)、次いで首都防衛とされるようです。
 論理は理解できても「何だかなぁ〜」と、戦争時に感じたのではもう手遅れです……(右奧は防衛省の巨大アンテナ)

2013/08/12

メディアを支えるのは熱意──飯田橋〜牛込神楽坂

【東京都】──「大江戸線を歩く_12」
2013.8.12にアップしました。

 印刷博物館(凸版印刷)で印刷メディア(雑誌・書籍)の仕事は、送り手の「伝えたい」意欲と、受け手の「知りたい」欲求に支えられることを再認識しました。
 展示されるむかしの手作業には「根気あるなぁ」と感心するも、現在のわれわれも違う形の「根気仕事」を、せっせとこなしていることに気付かされます。
  各工程でさまざまな技術向上の恩恵を受けますが、それぞれ時代の条件下でよりいいものを作ろうとする「熱意」が、歴史となりつつあるのかと、納得するところです……

2013/08/05

危機対応力が試される夏──春日〜飯田橋

【東京都】──「大江戸線を歩く_11」
2013.8.5にアップしました。

 この日多く見かけた浴衣姿は、おそらく隅田川花火大会を目指したと思われますが、開始30分で豪雨のため中止となりました。
 近ごろ急な雷雨が多いとはいえ「花火!」と盛り上がる際に、雨の心配をした人はどれだけいたでしょう。
 都市部なら雨宿りや傘もすぐ手に入るとの考えも、百万人近くの見物客が一斉に実現できるわけもありません。
 その対応「傘を持参」「判断ミスでずぶ濡れになった」で、カップルの将来が大きく左右されたかも?
 この夏のデートでは、突然の雷雨などへの危機対応力が試されそうです……

2013/07/29

地域の夏祭りは何でもあり?──春日

【東京都】──「大江戸線を歩く_10」
2013.7.29にアップしました。

 中島みゆきの「女の情念」が込められたようなアンダーな曲に合わせ、奇妙な踊りを披露する集団がいます。
 曲につれ、観客にお面を次々と渡し増殖していくパフォーマンスらしく、しばらくすると6人に増えていました。
 お面の表情は同じでも各人の振りの様から、「楽しさ」「困惑」「やけくそ」の心理が見えてくるもので、おふざけからも「能の精神」の一端が感じられた気がします……

2013/07/22

このままなら自分も……──本郷三丁目〜春日

【東京都】──「大江戸線を歩く_9」
2013.7.22にアップしました。

 無縁坂(以前あった無縁寺に由来)が身近な時代で注目されたのは、グレープの楽曲(1975年)発表時と思われますが、関心が無い者には縁のない場所でした。
 坂の上にある、東大医学部の正門とされた「鉄門」は現在、東大病院の通院門とのおもむきがあります。
 無縁坂の上に医学部の門を構えた意図には、医学は技術だけではない、との戒めが込められるようにも受け止められます……

2013/07/15

暦は文化と実感する──上野御徒町〜本郷三丁目

【東京都】──「大江戸線を歩く_8」
2013.7.15 にアップしました。

 今年も湯島天神で「夏越の祓(なごしのはらえ)」に遭遇します。
 東京にも季節感を重んじる習慣は残りますが、伝統より「豊かさ」を選択したり、流入者が多いためか、関心が低いことは確かです。
 実生活の目安となる「夏至」「冬至」に近いことを意識していれば、祝日である「春分」「秋分」と合わせて、暦による「四季の行事」が整います。
 そんな行事を「子どものころからやってる」と聞くと、うらやましく感じたりする年ごろのようです……(右は東京大学)

2013/07/08

B級の玉手箱──新御徒町〜上野御徒町

【東京都】──「大江戸線を歩く_7」
2013.7.8 にアップしました。

 JR御徒町駅前で「ナポリタンとミートソースがあればいい!」の看板に「食べてみようじゃないの」と引っかかりました(結構人気がありそう)。
 お約束の銀の皿に山盛りで、昭和風の太くモチモチした麺(パスタではなくスパゲッティ)に、食欲旺盛な若い時分の感覚を思い出すらしくチュルチュルと完食。
 ずっと同じ味のナポリタン山盛りも、味に不満はないようなので、次回は「昭和のミートソース」を……

2013/07/01

くまなく歩きたい!──蔵前〜新御徒町

【東京都】──「大江戸線を歩く_6」
2013.7.1 にアップしました。

 何だか道半ばで「ルートはどうでもいいや!」とスイッチが切り替わり、交差点のたびに「どっちが楽しそう?」と、気の向くままに歩き始めています。
 そんな時は大体失敗して「この道を戻るのか……」と嘆くのですが、それも楽しめちゃうのは、軒先を「失敬!」と「抜けられる」下町の気安さのおかげです。
 失敗も「バカだなぁ」と笑える町なので、ヘトヘトになるまで歩いても心地いいようです……

2013/06/24

意匠(デザイン)を競う──両国〜蔵前

【東京都】──「大江戸線を歩く_5」
2013.6.24 にアップしました。

 付近には歴史や意匠(の表現が似合う)に関心引かれる建造物が多く、四つ角で見回すと「アレは?」と気になる建物がひとつふたつ目に入るため、横道にそれるばかりでなかなか前に進めません。
 2時間程度の行程を3時間半くらい楽しめました。
 それを「粋を競う町」とするならば、素晴らしい伝統が継承される町と言えそうです……

2013/06/17

「最後の家族旅行」は何度でも──箱根

【神奈川県】──箱根
2013.6.17にアップしました。

 今回初めてプリウスを借りました。借りる際、店先でのレクチャーが必要なほど、目新しいマシンになっています。
 キーは鍵型ではなく、エンジン始動もコンピュータのようなボタンなので、「フリーズしたら」どうするの? とも。
 車内は思ったほど静かではないも路地で遊ぶ子どもにソロソロ近づくと、目前の車に「ギョッ」と驚く表情には、なるほどにんまりできます。
 4人乗車で2日間走ってガソリン代1,000円程度ですから、やはりエコなようです……

2013/06/10

永遠に不滅の下町文化──森下〜両国

【東京都】──「大江戸線を歩く_4」
2013.6.10 にアップしました。

 森下駅近くの裏通りにある製氷店では、夏場だけかき氷を出してくれます。
 全品100円の手頃感や、時間をかけて凍らせた透明で堅い「純氷」(焼酎の名前?)の使用が人気のようです。
 これぞ「下町」の光景で、遊んでいる子どもや、家族で外出の際「寄らない?」の誘いに、全員が「行く行く!」と即決しそうな気安さが感じられます。
 店先の縁台で口にすれば、全身がシャキッとして「もう一汗」いけそうです……

2013/06/03

情緒を創出する「庶民力」──森下

【東京都】──「大江戸線を歩く_3」
2013.6.3 にアップしました。

 「江東水上バス」は2002年に廃止されますが、待合所は以前と変わらず憩いの場としての情緒が保たれています。
 遊歩道に面し近所の方々も利用するためかとてもきれいで、対岸からは「もうすぐ船が来そう?」な、にぎわいに見えたりします。
 ここは亀戸〜お台場航路の停船港で、ルート設定に疑問も感じますが、前回歩いた扇橋閘門(こうもん)を通ったことを知り、乗ってみたかったなぁ、と……

2013/05/27

水都江戸をたどる──小名木川、仙台堀川

【東京都】──大江戸線から、ちょいと寄り道
2013.5.27 にアップしました。


 江戸に移った徳川家康は、江戸城を中心としたインフラ整備に着手し、現在千葉県の塩田から塩を運ぶため、浅瀬が広がる沿岸に小名木川の水路を開き、後の水都となる礎を築きます。
 しかし、高度成長期の地盤沈下による度重なる水害のため、閉鎖・埋立てられることに。
 再開されたのは、荒川ロックゲートや、隅田川〜荒川の高低差(最大3m)を調整する扇橋閘門など、ゼロメートル地帯を守るための「壁」がすき間無く整備された2005年になります。
 周辺と変わらない活気に見えますが、この先も「水害危機」との隣り合わせを強いられる地域です……

2013/05/20

過去に学ぶべき震災復興の意識──下谷

【東京都】──「大江戸線を歩く」スピンオフ企画
「最後の同潤会アパート」
2013.5.20 にアップしました。

 関東大震災復興の際は、震災4年後に日本最初の地下鉄が開通し、小学校再建に+1年、アパート建設には+2年を要しました。
 時代や環境は違えど、復興の優先順位は変わらないでしょうから、過去の経験から学ぶ姿勢があれば、今回の復興も時間を要する認識と、その間必要となる避難民のケアを予測できたのではないか、という気がしてなりません。

 右は震災復興住宅「同潤会アパート」の中で、最後まで残された建物ですが、戦禍を乗り越え80年以上利用された姿は、当時託された「希望の大きさ」をしっかと後世に伝えたように見えます……

2013/05/13

戦禍をくぐり抜けた建物たち──清澄白河

【東京都】──「大江戸線を歩く_2」
2013.5.13 にアップしました。

 付近には、昭和初期に建設された鉄筋コンクリートの建物が複数現存しています。
 空襲で火の海になった地域で焼け残ったのはコンクリート製のおかげと思いがちですが、地域の人は「ここを守りたい」の意識から、バケツリレーで延焼を防いだそうです。
 手のかかる配管補修は、露出配管(室内・外に下水管が通る邪魔な構造:現在の部屋も同じ)のおかげで繰り返し行えたことが、建造物長持ちのポイントとのこと。
 ということは、現在暮らす建物もまだまだ使えるということかも知れません……(右写真は清澄庭園)

2013/05/06

連休の湘南・横浜シーサイド

【神奈川県】──片瀬海岸、平塚、横浜(2013.5.3〜5)
2013.5.6にアップしました。

 連休で実家(相模原)に戻る際に立ち寄るのは、毎度の鎌倉・江の島周辺ですが、寝坊して鎌倉に寄れないことも近ごろは常習化しつつあります。
 このところゴールデンウィークで天気がいいのは前半だけで、後半は残念の年が続いた印象があるも、東京周辺に限れば全般的に恵まれましたから、遊ぶ側も受け入れ側も、満足できたのではないでしょうか……

2013/04/29

「路地の魔法」に覚える郷愁──門前仲町

【東京都】──「大江戸線を歩く_1」
2013.4.29 にアップしました。

 今回から都営地下鉄「大江戸線」沿線を歩きます。
 門前仲町の路地に足を踏み入れた途端、緊張が解き放たれ、またたく間に風景にとけ込むような感覚があります。
 住宅の建て替えはあるも、以前と変わらず間口の狭い土地で窮屈そうに並ぶ家並みに安どするようです。
 人の尺度の基本は「身の丈」ですから、家・敷地・道路のサイズが、両腕を広げた単位で採寸できそうな場所には親近感が持てる、という説明で伝わるだろうか?

2013/04/22

国境は越えて知るもの──羽田国際線ターミナル

【東京都】──「ベイエリアウォーク 27」
2013.4.22 にアップしました。

 約20年ぶりの国際線ターミナル訪問で、年齢とともに海外や国際空港に対する意識も変わったことに気づかされます。
 20〜30代には「出・入国審査をパスすれば自由!」の勢いがあり、実態は見えなくも「国境は越えていく存在」でした。
 それが国外に出なくなった途端「入管、変なの入れるなよ!」と、関所の役割を期待する守りの姿勢になっています。
 でも海外経験があれば、訪問先での厚意に対する感謝を忘れず、いつかお返しをと考えるでしょう(迷惑をかけた記憶ばかり……)。
 そんな草の根外交から芽ばえる「お互いさま」交流に、国際平和を期待するビジョンは失うべきではありません。
 これまで以上に、海外とのかかわりを強いられる現代の若い世代には、国境を越えた先に「何を描けるか?」が求められるのかも知れません……

2013/04/15

都市生活を下支えする──昭和島、京浜島

【東京都】──「ベイエリアウォーク 26」
2013.4.15 にアップしました。

 現在東京モノレールで運行の快速列車は昭和島駅を通過しますが、以前隣接の車両基地で目にした軌道分岐には、見慣れない遊園地の乗り物のような新鮮さがありました。
 一般鉄道のポイントに赤信号で進入すると、進路をふさいだ線路に「乗り上げ」ますが、ここでは「落ちる底」が迫るだけに、ストッパーの有無にかかわらず事故率は低そうに思えます。
 ヘビのような切り替え動作から、竹製のへびおもちゃの動きを想起しますが、これって通じるだろうか……

2013/04/08

進入灯を目にした安堵感と緊張感──城南島

【東京都】──「ベイエリアウォーク 25」
2013.4.8 にアップしました。

 飛行機内で目的地空港の進入灯を目にすると「着いた〜」の安堵感はありますが、その先に最も緊張する瞬間が待っています。趣旨は分かるも機内アナウンスの「最終着陸態勢:final approach」の響きから、「最期」を想起する人は多いのではあるまいか?
 いくら空の旅に慣れても、1982年「日航羽田沖墜落事故:逆噴射の衝撃」の数日後に搭乗し、客室の不安が破裂しそうなほど膨張する中(全員が落ちたら…と考えていた)、無事の着陸で機内から拍手がわき起こったことを、忘れることはありません……

2013/04/01

運河のビーチでリフレッシュ──平和島、大森

【東京都】──「ベイエリアウォーク 24」
2013.4.1 にアップしました。

 2007年開園当時「大森ふるさとの浜辺公園」には、「どうなのよ?」の印象がありましたが、歩いてみると「掃きだめに鶴」のように「運河に憩いのビーチ」と言えそうです。
 お台場海浜公園の白砂のまぶしさは無いも、近所に裸足で走り回れる砂浜があれば、遊泳禁止でもテンションは上がるようです。
 周囲の景色を隠すフィルターを持てれば、広い空の下にある砂浜なので引き寄せられる気持ちは分かります。

 現在大森産の海苔はありませんが、「海苔を買いましょう〜」を勘違いされたのでは、地元がカチンと来るのも当然です……
 女優が宣伝する大森屋海苔店は大阪の会社で、この地とは無関係。

2013/03/25

Holo Holo お花見──徳川家ゆかりの地

【東京都】
2013.3.25 にアップしました。

 これが「お花見」というものですよね。
 最初はデモンストレーションと思うも、携帯用ポットでお湯持参の様子から、愛好家の「花見茶会」のようです。
 カッコイイと思うも決してまねができない、それを「粋」と言うんでしょうね。
 右女性のように背筋の伸びた姿勢は、柔道(近ごろ揺らいでますが)・剣道のように、茶道の「道」が感じられるようで、見る者にも心地よさを与えてくれます……

2013/03/18

撮影に使えそうな倉庫街──勝島周辺

【東京都】──「ベイエリアウォーク 23」
2013.3.18 にアップしました。

 ここは前回、菜の花で殺風景な景色をなごませていると紹介した、対岸の倉庫が並ぶ勝島で、日中戦争中に埋め立てられたことから戦勝を祈願した命名になります。
 大井競馬場へ向かう道すがらキョロキョロ歩いていると、軒を連ねる倉庫外壁の塗装センスに目が止まります。
 リニューアル後(?)なのか、クリーム系の濃淡と濃い青の配色が見事で、モデル撮影にも使えるのでは? と思うほどシャレています。写真のモデルがオッサンですみません……

2013/03/11

五輪を東京招致できたら!──天王洲

【東京都】──「ベイエリアウォーク 22」
2013.3.11 にアップしました。

 2020年夏季五輪開催地選考の、国際オリンピック委員会による東京の現地調査が、3月4~7日に実施されました。
  前回2016年五輪招致活動と比べると、大震災やロンドンオリンピックを経た現在の気運の高まりには格段の違いがあります 。
  選手たちのように、「東京招致できたら私は、いずれかの競技会場の客席で日本選手を応援します!」と、小さく宣言します。
  五輪招致アンケートの電話があれば「YES!」と答えたいのですが、まだかかってきません。
 東京タワーを望む赤羽橋(芝公園)付近では、携帯端末や三脚で撮影する方の多さに、感心の高さを実感しました……

2013/03/04

夢なき船が漂う──夢の島

【東京都】──「ベイエリアウォーク 21」
2013.3.4 にアップしました。

 船のエンジンにはディーゼルとガソリンがありますが、夢の島マリーナの給油施設には、ディーゼル用軽油とガソリン用ハイオクだけでレギュラーはありません。
 エンジンの仕様から、ハイオクエンジンでレギュラー使用はNGでも、レギュラーエンジンでハイオク使用は可なので、高い製品を売りつける営業方針のようです。
 船のプロによれば「ハイオクを使っても船の走りはレギュラーとほとんど変わりありません」とすると、燃料会社の言い値で「贅沢税」を払うことになりそうです。
 レジャーボートは海好きのあこがれではありますが、海への夢も「お金次第?」では、ロマンもしぼんでしまいます……

2013/02/25

レールは曲がるものなのです──潮見、辰巳

【東京都】──「ベイエリアウォーク ⑳」
2013.2.25 にアップしました。

 近ごろの電車では、線路の継ぎ目通過の「ガタンゴトン」音が減った印象がありますが、それはロングレール(200m以上の長さ)の普及によるもので、この近くにその長いレールを作る工場があります。
 レールを運ぶ専用の貨車があっても、200mのレールではカーブを曲がれない! と思うも、レールが曲がってくれるそうです。
 カーブで使用するレールは角度を合わせた特注品ではなく、真っすぐなレールを現場でたわませて固定します。
 真っすぐだったレールが描くカーブならば、レールを積んだ貨車も通れるわけで、なるほど道理と納得させられます……

2013/02/18

海の果てを見つめた──越中島

【東京都】──「ベイエリアウォーク ⑲」
2013.2.18 にアップしました。

 東京海洋大学は、2003年に東京商船大学と東京水産大学が統合された、日本で唯一の海洋研究・教育を行う国立大学です。
 右の明治丸は、明治天皇が乗船したイギリス製帆船(1873年:明治6年)で、日本に現存する最古の「鉄船」。
 天皇が東北方面から横浜に戻った日が「海の記念日:7月20日」とされ、祝日「海の日:7月の第三月曜日」のルーツとは知りませんでした。
 国の重要文化財ですが、老朽化による大規模修復の募金を受付ています……

2013/02/11

「こんにゃく芸者」が人気?──旧霊岸島

【東京都】──「ベイエリアウォーク ⑱」
2013.2.11  にアップしました。

 霊岸島の響きから「悪霊島」「獄門島」など、横溝正史の金田一シリーズをイメージする年代としては、「こんにゃく芸者」目当てに繰り出したオヤジは数合わせで殺され、「そうか、分かった!」の警部がこんにゃく芸者の説明する間に、金田一が「ちょっと、気になることが…」と糸口を発見する状況を思い浮かべたりします。
 ここは都会の島ですが、過去帳を調べると「しまった、そんなことがあったのか!」という怨念があったりして……

2013/02/04

「ひとりもんじゃ」はNG──月島、佃島

【東京都】──「ベイエリアウォーク ⑰」
2013.2.4 にアップしました。

 昼食には遅い時間ですが、人気のもんじゃ焼き店にはグループの行列があります。
 同じ焼き物でも、焼肉には哲学的とも言える「個人の間」があるので、ひとり焼き肉はNo Problemですが、お好み焼きは「焼けた!」の瞬間に一気に食べられませんし、チビチビ焼く気にもなれません。
 一方もんじゃは、焦げても酒のつまみになるため、ベチャベチャと「ひとりもんじゃ」で悦に入った表情になりそうです。
 そんな姿を想像するとゾッとするので、ひとりでは行かないと決めています……

2013/01/28

+4mの堤防で大丈夫?──勝どき、豊海

【東京都】──「ベイエリアウォーク ⑯」
 2013.1.28にアップしました。

 海沿いを歩く道すがら、東京湾の津波対策は大丈夫か? と……
 湾内の防潮堤は高潮対策を基準とし、計画高潮位(MAXの想定)は東京湾平均海面+4.0mで、堤防の高さには+1m程度が考慮されます。
 そこには津波対策は考慮されていないのに、海抜ゼロメートル地帯を抱える江東区は「堤防や防潮堤を越えるほどの大きな津波に襲われる心配はありません」と胸を張ります。
 その根拠は、元禄地震(1703年)、安政東海地震(1854年)、関東地震(1923年)でも、湾奧の津波は最大でも2m程度だった歴史記録によるようですが、今回の震災時に船橋市で観測された約2.5mの津波には地盤沈下分も含まれるでしょうから、住民としては「安心できない!」が本音になります……

2013/01/21

尽きない食への関心──築地

【東京都】──「ベイエリアウォーク ⑮」
 2013.1.21にアップしました。

 少し前になりますがニュースでも注目された、築地の初セリで1億5,540万円で競り落とされた「マグロ解体ショー」に群がる「黒山の人だかり」を目にし、その表現が似合う町も少なくなったと感じたりしました。
 そのマグロを通常価格で提供するとのふれ込みから行列となりますが、通常1貫400円前後の大トロで換算すると1貫3万円ですって! 奮発しすぎです。
 正月の景気づけと宣伝も重要ですが、「マグロの完全養殖:タマゴから育てる」を応援してもらいたいと思うも、食の現場の関心って将来ではなく「目の前の食材」なのでしょうね……(写真は玉子焼き店)