2016/12/26

江戸・東京の玄関口──北品川

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2016.12.26にアップしました。

 江戸期の品川湊は、江戸市中の浅瀬に向かう小型船への積み替え港としてにぎわったため、遊んで暮らす人(ビッグコミックオリジナル『浮浪雲』の生業は船問屋?)って、結構いたかも知れません。宿場と港が隣接する場所柄から、物語の猥雑な空気を想像するのは主客転倒でも、分かりやすい気がします。
 陸・海路とも江戸玄関口の認識から、品川台場を築きペリーを横浜まで退かせますが、律儀に玄関から入ってくるゴジラの上陸を自衛隊は防げませんでした……

2016/12/19

落書きしたくなる路地──目黒川河口

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2016.12.19にアップしました。

 旧東海道の商店街が景観保存に注力するおかげで(?)、脇の路地まで守られているように見えます。路地脇には、共同の手押し井戸とスペースが往時のまま残されており、家のすだれ越しにテレビの音声が聞こえてくる情景から、昭和期のガキ時分の記憶がよみがえってきます。
 この路地なら、路面にろう石で落書きをしても「道路で遊んじゃダメ!」と怒られないのではないか? なんて思うのはオヤジだけのようで、きれいな路面を目にすると、近ごろの子どもはそんな遊びはしないのか? とも。
 ですが、子どもが少ないとされたら、本当のノスタルジーに……

2016/12/12

再開発にも場数が必要?──大崎

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2016.12.12にアップしました。

 初めて歩いた五反田〜大崎間の目黒川沿いには、東京都主導の大崎副都心化により取ってつけたような「不自然な空間」が広がります。「家は3回建てないと満足できるものはできない」は、人生では不可能とも受け止められるように、住民の不満を耳にし都市計画側が「こうすればよかった」と後悔する部分がありそうな気がします。
 工場地帯の再開発から生まれた町の周辺には、まだ多くの工場が残りますから、今後も続く再開発で設計側・住民側双方が満足できる町が生まれるのかもしれません。
 でも、築地のような工場跡地の土壌汚染は大丈夫?

2016/12/05

旧木造駅が消える前に──戸越銀座

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2016.12.5にアップしました。

 12月11日に竣工セレモニーが行なわれた駅舎改修を、東急は「木になるリニューアル」としますが、以前も木造の駅舎でしたよね。木(気)になる設計者が不明なのは、時代が求める隈 研吾さんではないため?
 新駅舎を目にし、「いつまでもあると思うな東急線の旧木造駅」の日が近いことに気付かされます。現目黒線の駅はすべてリニューアルされましたし、大井町線 旗の台駅の木造ベンチも消えました。
 現存する「木造駅探訪」はテーマになりそうですし、今ならまだ格好になると思ったりします。
 右は、公募制推薦入学選考試験が終了した星薬科大学。

2016/11/28

埋葬に求める自由──上大崎

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2016.11.28にアップしました。

 福沢諭吉は生前、眺望のいい高台を気に入り自分で決めた墓所(常光寺:浄土宗)に埋葬されますが、宗派の違いから菩提寺の麻布十番善福寺(浄土真宗)に改葬されます(1977年)。
 その際、土葬された遺体を掘り起こすと、白骨化せずミイラの姿だったため(地下水やお茶の葉に包まれ守られたらしい)、改めて火葬し善福寺に埋葬されたそう。
 火葬が一般的になったのは戦後からで、八百万の神に始まる神秘的世界観からの解放により、戦後復興〜高度成長が生み出されたとも言えそうです。加えて近ごろでは、人並みを好む従順な国民からも、埋葬の自由(自然葬)を求める声を耳にするようになりました。
 それは自己から芽生えた(非宗教的)欲求で、DNAをルーツとする本能的な願望と考えると納得しやすい気がしますが、その先には何が広がるのかと……

2016/11/21

やはり夢は、お金?──羅漢寺川

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2016.11.21にアップしました。

 以前、東急バス 目黒営業所の車庫付近には、羅漢寺川支流の六畝(ろくせ)川水源の池がありました。2011年東日本大震災の夜に徒歩で帰宅した際、バス車庫の交差点を曲がり幹線道から離れた途端に、人の流れが少なくなった状況が思い出されます。そんな経験と共に、記憶に刻まれる場所となりました。
 右は、目黒不動参道にある鰻屋「八ツ目や にしむら」。高値で手が出ない近ごろは、ケチではないつもりでも、落語の「うなぎを焼くにおいでご飯を食べる」気持ちが分かる気がします。
 右のようにうなぎ好きは多いので(においが引き寄せるのか?)、研究者には是非、完全養殖を実現してもらいたい! と……

2016/11/14

支え合いの道筋──谷戸前川

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2016.11.14にアップしました。

 この日祐天寺では、十夜会(じゅうやえ:浄土宗寺院の念仏会)が開かれるため参道に花が飾られています。会場玄関前に並ぶ受付等のテント付近に、檀家送迎のために多くの僧侶や職員が立つ様子からも、行事の重要さがうかがえます。
 現在複数の施設が修復中の様子から、歓待は修復費用の寄付に対するものと察せられます。内訳は不明でも、勧進(かんじん:寺院・仏像の修復、再建の寄付を求める)というシステムは、やすらぎの提供という実体のない霊感商法のようでもあるが(失礼…)、それをよすが(縁)と求める姿は理解できるところです。
 この国を縁の下で支えた人々が眠る地を、檀家に支えてもらう道筋を守ることが、寺の役目のようです……(右は現代彫刻美術館)

2016/11/07

庶民性が売り──目黒周辺

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2016.11.7にアップしました。

 目黒駅前では都バス車庫跡地の再開発が始まり、オフィスビルと住宅用ツインタワーが建設中も、五反田側は高級住宅地(花房山)の高台に続く見晴らしのよさからか、365戸の億ションは完売らしい。
 ですが目黒といえば、大鳥神社 酉の市や、目黒のさんま祭を思い浮かべる方が多いのではないか。
 毎年大混雑する酉の市(今年は11月11・23日)に人が集まる理由は、希望を求める明るい表情を見れば理解できます。
 また、さんま祭の駅前を覆い尽くす煙や臭いは、他の町では迷惑とされそうですが、無性にそそられるのもこの町ならではという気がします。
 山手の町ながらそんなカラーを出せる地域性は、権之助坂沿いに根付いた庶民性が健在である証、と言えるようにも……

2016/10/31

「馬」の地名由来は頼朝──蛇崩川

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2016.10.31にアップしました。

 付近の上馬・下馬・駒沢通りなど「馬」に関する地名の由来は、源頼朝が奥州合戦に向かう際に生まれたとされます。
 頼朝の馬が蛇崩(じゃくずれ)の激しい沢の深みで命を落としたため、頼朝の「この沢は馬を引いて渡るべし」から、「馬引沢」→「下馬」と伝わったとのこと。現在も高台から下る坂には、流れの速かった様子がうかがえます。
 前回の馬事公苑付近に始まり、馬の地名を刻みながら流れ、目黒川に合流する中目黒で馬頭観音が守られる蛇崩川は、「馬の川」と呼べるようにも……

2016/10/24

五輪の準備が始まる──馬事公苑

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2016.10.24にアップしました。

 東京五輪の経費削減に動く小池知事を応援していますが、もう準備が始まる時期であることも確かです。
 馬事公苑は、1940年東京五輪(戦争のため中止)に向け開設された施設で、1964年東京五輪の馬術競技会場とされた施設も老朽化が目立つため、来年から2020年五輪に向けた改修工事が始まります。
 JRAの施設なので競技用設備は◎ですが、古いままのトイレは×。リニューアル後の姿を楽しみに。
 入道雲の写真は9月中旬のもので、遠出をはさみ季節外れとなりました……

2016/10/17

高みの心地良さ──駒ヶ岳〜大鹿村

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2016.10.17にアップしました。

 千畳敷カールへの道は険しく。菅の台バスセンター〜しらび平ロープウェイ駅間の路線バスは(一般車両通行禁止)、低速ギアで山道を30分登りっぱなし。路肩から崖を見下ろし「運転手に命を預けていいの?」の気持ちと、覚悟して乗るロープウェイの違いは、地に足が着けばジタバタできるとの意識によるようです。
 しらび平〜千畳敷間の駒ヶ岳ロープウェイ(1967年開通)の売りである、日本最高の高低差950m、日本最高所 千畳敷駅の高度2611.5mの迫力は圧巻ですし、このルート開設に挑んだ意欲に拍手をしたい!

2016/10/13

陸の孤島を遺産に──妻籠・馬籠

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2016.10.13にアップしました。

 右はパンフレット等で使われる光景らしいが、左右の木は江戸時代から生えていた? そんな関心が、宿場の歴史を身近なものに感じさせてくれます。
 当時の宿場町は、江戸←→京を行き来する旅人の雑多な会話で騒がしいも、様々な情報交換の場だったことでしょう。
 山間地においても、中心都市の情報を耳にできる宿場がにぎわった交通システムは、街道筋にある宿場の平等性を保っていたとも言えそうです。
 人づてに伝わる情報を、また聞きとして話半分で受け止める、おおらかさを持った時代の空気感が、いまも漂っているかのよう……

2016/10/08

地元の誇りを守る──木曽路

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2016.10.8にアップしました。

 「京都に負けない!」と驚いた立派な庭園は、山間地に広がる雲海をイメージし昭和期に造園されたもの。
 地元のヒーローである木曾義仲は、平氏を京都から追い出し一時は征夷大将軍となるも、評判の悪さ(政治力不足)から人望を失い源 義経軍に破れます。
 その後家系は絶えたとされるも、戦国時代の木曾氏が義仲の子孫を名乗ったように、時代を超えて地域の誇りとされ、菩提寺を守らねばとの強い意志を感じます。
 庭園に感銘を受けるのは、住民の願いが込められるためと……

2016/10/03

豊かな水が支える──松本

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2016.10.3にアップしました。

 以前、松本城が深志城と呼ばれた時分は、盆地に流れ込む川を濠に利用した浮城のような姿だったそう。松本駅の現住所が「深志一丁目」とされるように、駅前に限らず町中には多くの湧水が見られ、いく筋もの水路が残ります。
 J2リーグ松本山雅FCの試合があったらしく、EPSONのロゴ入りユニフォーム姿の集団を見かけます。長野自動車道脇に並ぶEPSONの工場群には驚きますが、大量の水を必要とする精密機器製造には最適な環境のようです。
 生活や城を守り工場を誘致した、水に支えられた「水都」と呼べるのでは……

2016/09/25

「天空で読書」のススメ──大橋

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2016.9.25にアップしました。

 ススキが揺れているのは、首都高速 大橋ジャンクション屋上に整備された「目黒天空庭園:目黒区の施設」で、隣接ビル9階の区立大橋図書館脇に連絡口があります。
 開放感ある展望施設としての見晴らしもよく、手入れの入念さから庭園に対する意気込みが伝わりますが、家並みしか見えない景色に癒されるとは思えません。
 ですが、図書館が9階にある理由を、地上と違う空気が感じられる「天空で読書」のススメと受け止めると、その心地よさがヤミつきになるかも……

2016/09/19

若者が躍動する丘──駒場

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2016.9.19にアップしました。

 女子高の学園祭練習らしき集団は、クラブ活動ではないため強制的参加者もいるようで、目が合った際の不安げな表情に、高校時分の記憶がよみがえります。
 男たちは、恥ずかしさを振り払おうと「思いっきりやろうぜ〜!」と開き直れたが、女子はリーダーが鼓舞しても、心が揺れるようで思い切れない娘もいました。
 若い娘が羽ばたこうとする姿は、「この年ごろ」にしか見られないと背中を追ううちに、娘を持つ父親の切なさを察せるような気がしてきます……

2016/09/12

池ノ上は「ぬけられません」

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2016.9.12にアップしました。

 井の頭線は溝ヶ谷支流の盛り土上を通りますが、上流側は川をせき止めるダムのようで、地下流路が詰まると一帯が水没しそうな抜け道の無い「どん詰まり」です。
 以前あった池が池ノ上駅名の由来らしいも、地名に残らないことから、鉄道建設で生まれた池だったのでは?
 上流側から渡れる踏切は駅の脇まで無いが、下流側からしか入れない袋小路の踏切には「ぬけられません」の表記があります。宅地開発後、線路沿いの鉄道会社所有地を分譲する際に設置した踏切か?
 変遷の跡が見て取れるのは楽しいも、整備すべきではないかと……

2016/09/05

「気の流れを」取り戻した──代沢

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2016.9.5にアップしました。

 弥生時代の人々が、北沢川を見下ろす南斜面を選んだように(遺跡が残る)、魅力的な環境は現在も人気が高いようです。
 暗きょ上に整備された北沢川緑道の環七下流側に作られたせせらぎは(1996年)、地域のシンボル的存在のように見えます。
 北沢川緑道がシャレて見えるのは、自治体の町づくりに住民が賛同し、その気になって協力した成果のようで、工夫が感じられる家が並ぶ光景からは、町の活気のようなものが伝わってきます。
 緑道散策が楽しく感じられるのは、「気=エネルギーの道」である川の流れを取り戻そうとした住民たちの地域力による、という気がします……

2016/08/29

五輪前に景色が変わる町──下北沢

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2016.8.29にアップしました。

 解体が進む下北沢北口駅前食品市場で、最後まで抵抗し営業する店舗は、名残りを惜しむ客でにぎわいます。
 外部の者は町の生命力と受け止める「闇市の名残り」ですが、自治体には早く除去したい目障りな存在らしく、演劇の町、古着の町、すれ違う若者の「ここはデートで来る町でしょ!」というカラーで町を整備し、古くからの怪しい勢力を一掃したいようです。
 父の実家に暮らす伯母と買い物に来た記憶や、下高井戸駅前市場もよく行ったとの話を思い出すと、前回オリンピック前に体裁を整えるためバラックが排除されたように、今度の五輪を迎えるまでに東京の景色は大きく変わりそうと……

2016/08/22

ダイダラボッチの足跡──代田

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2016.8.22にアップしました。

 世田谷区 代田の地名由来とされるダイダラボッチは、日本各地に伝わる巨人伝説で、映画『もののけ姫』のデイダラボッチは別名の一つ。国造り神話以前の自然崇拝(古代原始宗教)が起源とされ、各地の山や湖は巨人が作り、その足跡は水が涸れない肥沃な窪地になる、と伝えられます。
 駅名の由来とされる玉川上水の旧代田橋は、ダイダラボッチが架けたと伝わるも、右は巨人への捧げものではなく、駅前の居酒屋に置かれた古い防火水槽を利用した金魚水槽と、配達された食材。地味な下町風情こそ代田橋らしさとも……

2016/08/15

幼きころの記憶──羽根木

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2016.8.15にアップしました。

 付近に父の実家があるので積極的に地名は使わないも、「羽根木の森」とされる一画は地域で胸を張れそうな一画です。
 1997年にスタートした農地再開発プロジェクトで、記憶に残る大木を1本も切らず、住宅・オフィス・店舗を配置した、理想的な再開発に見えます。通りの印象は変わらないが、何かありそうな雰囲気に誘われ、「中はどうなっているの?」と、ガキ時分からの興味を押さえられず勝手に入っちゃいました。
 そこに広がる「思った通りの光景!」は、軽井沢を想起させる避暑地のようなたたずまいで、夏でも虫除け対策をすれば心地よく過ごせそうです……

2016/08/08

ふたをしたい分別盛り──下高井戸

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2016.8.8にアップしました。

 付近で暮らした学生時分、世田谷線沿いの用水路は開きょのどぶ川でしたが、現在はふたがされ歩きやすい親水施設に整備されました。
 大学周辺からよみがえる当時の記憶は、周囲に迷惑をかけた恥ずかしいものばかりで、年齢と共にネガティブな記憶を思い出すことが増え、そこだけふたをしたいと思ったりします(分別がつく年ごろの中年を「分別盛り」と表現するそうです…)。
 当時の生意気な言動を見逃してもらった経験から、若い世代に対し寛容に接するつもりも、世代間ギャップのためか時折イラッとすることがあります。その免疫は子育てから身に付くようで、経験の足りなさと……

2016/08/01

ひまわりは見るだけよ!──上北沢

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2016.8.1にアップしました。

 農地の一画に設けられた即売所から、客との弾んだ会話が聞こえます。土地を手放し狭い農地の出荷品目は限られても、手売りでの近所付き合いを楽しめるなら、適度な労働で小遣いも稼げる老後を送れますし、近隣住民にも「地産地消」による互いのメリットを浸透させることができます。
 「今度、ひまわりを分けてよ!」に対し、「ダメ〜、ひまわりは見るだけよ!」の返事は、自然の恵みを糧に生きてきた知恵なのでしょう。みんなで夏のシンボルを楽しめば、子どもの記憶に刻まれ、写真も撮れますから、共有を目指す姿勢こそ本来の「エコ」ではないかと感じます……

2016/07/25

走るタイムカプセル──世田谷

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2016.7.25にアップしました。

 世田谷線は専用軌道を走るので路面電車ではないと思ったら、信号待ちをする右の環状七号線との交差部分が併用軌道とされ、路面電車に区分されるそう。
 都営荒川線同様「走るタイムカプセル:乗車した瞬間に懐かしい記憶がよみがえる」のようで、若い時分をふりかえると、近ごろ見失った謙虚さや心がけを再認識し、初心を忘れずに行動せねばと引き締められる思いがします。
  新車両の座席は前後を向く個別シートとされ、狭くて足が収まらない人は「潔く立ってなさい!」にも、自覚を持ってシャキッと立てます。 世田谷線ですもの……

2016/07/18

欲を忘れませんか?──豪徳寺

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2016.7.18にアップしました。

 豪徳寺は近ごろ「開運良縁のパワースポット」として若い女性に人気らしく、ひとりで訪れる方を目にしますが、それを標的とする? 年配の「自称ボランティア」が、カサカサと近寄っていきます(良心的な方だったらゴメンナサイ…)。
 説明に感謝しつつも「ジジイとの出会いを求めて来たんじゃない!」し、ご利益を使い果たしては参拝の意味がありません。
 猫は良縁を招こうとしても、仏様が考え込んでいるのは「坐禅して欲を忘れませんか」ということか?(ここは曹洞宗の禅寺)

2016/07/11

熱中症予防は緑の木陰で──烏山

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2016.7.11にアップしました。

 熱中症関連で耳にする「暑さに慣れてない体」を慣らそうと挑むも、当初は「クラ〜ッ」とくる瞬間もあるわけで、今回それを救ってくれたのは竹林の木陰でした。
 自然との距離感はなるべく近い方がいいと考える、日本人の絶妙なさじ加減を実感します(来る者は拒まず介抱してやる、のようにも)。
 都心のビル風でひと息つくことと、寺町での深呼吸は別物で、木々がやわらげてくれる空気こそ、熱中症を予防してくれるように感じます……

2016/07/04

丘の上が似合う学府──三田

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2016.7.4にアップしました。

 慶應義塾のルーツは、中津藩士 福澤諭吉が藩命により築地鉄砲洲(中央区明石町:聖路加病院近く)の藩屋敷に開校した蘭学塾(1858年:安政5年)で、1868年(慶應4年・明治元年)に年号から名称を定め、1871年(明治4年)に現所在地に移転します。
 三田の丘(三田段丘)に現存する施設としては最古参。キャンパスへの道はどこも坂道と「丘の上:応援歌」で歌い、右の東館アーケード上部には、「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」を意味するラテン語が記され、門前からも学府(丘の上)への坂道に威厳を感じます……

2016/06/27

June Brideをめざして!──浜松町

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2016.6.27にアップしました。

 竹芝桟橋は伊豆・小笠原諸島の玄関口ですが、付近にはホテル、パーティー会場に加え、クルーズウェディングが可能な船も停泊する、ウエディングエリアとしても人気の、船出の港でもあります。
 パーティーの出し物を練習する女子たちが、祝福よりも「はじけたい」姿に見えるのは、出会いのへ期待感や「次はわたしよ!」のテンションが高まるためでしょう。そんな、希望に満ちた活力がこの国には必要ですが、現代の若い男たちって、はじけてる?
 「純白」のドレスを汚すまいとの配慮は、きっと将来に生かされることでしょう。とても素敵なJune Brideでした……

2016/06/20

江戸っ子のひいき──赤羽橋

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2016.6.20にアップしました。

 江戸期、中ノ橋付近にあった久留米藩 有馬家屋敷内の「水天宮:久留米から勧請(分霊を他の地に祭る)」は、塀越しに賽銭が投げ込まれるほど庶民に信仰され、後に屋敷内のお参りを認めると、有馬家・情け深さを掛けた「なさけありまの水天宮」という地口(じぐち:駄洒落)がはやります。
 また、当時では異例の高さ三丈(約9m)の火の見櫓を建てると、有馬温泉(出身地)・水天宮・火の見櫓を掛けた「湯も水も火の見も有馬の名が高し」とされるほど、江戸っ子がひいきにしたのは、「ありま」の語呂が受けたような気がします。
 水天宮は日本橋蛎殻町に移転し、現在も信仰を集めますから、ご利益は健在のようです……(右は付近の元神明宮)

2016/06/13

気兼ねない麻布の下町──麻布十番

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2016.6.13にアップしました。

 交通手段がバス路線しかない時分は「陸の孤島」とされ、周囲の高台にある大使館等の施設からも坂下に位置するため、当時は「知る人ぞ知る」隠れ家的遊び場とされましたが、2000年地下鉄南北線開通から多くの人が訪れるようになり、町の評判は高まります。
 右のようなおばあちゃんの焼き鳥が健在なのは、個人経営中心の商店街が発展したためで、豆屋、蕎麦屋やたいやき屋等、庶民向けの店にはいつも人が群れています。交通の便が劇的に改善されてからは、売り上げが増えたとしても、地価や物価も上がり暮らしづらくなったのではないか……

2016/06/06

オアシスを断つ町づくり──元麻布

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2016.6.6にアップしました。

 麻布学園グラウンド下の狭い谷筋には、以前の水場に集まった住宅が残り、日本のオアシス(谷筋)の典型的な姿と出会えます。
 周辺にはいくつもの湧水が現存しますが、水量減少・水質悪化から上水に利用できないためそのまま下水に流されます。もったいない気もするが、六本木ヒルズ周辺では埋め立て(土を盛る)だけでなく、地下水脈を断つような工事が行なわれたのではないか?
 湧水を断ってしまうと土地は潤いを失い、やがて砂漠となりそうだが、水分を抜いて地盤の強度を高めることが都市整備と言われれば、反論の余地はありません。
 その一方、人工都市の上では、管理された水辺が人々を潤わせています……

2016/05/30

広島スピーチの理解者は日本人だけ?──南麻布

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2016.5.30にアップしました。

 オバマ大統領の米国内での評価は右肩下がりでも、任期の最初(プラハ演説)と最後(広島スピーチ)の年に信念をアピールしたことで、記憶に残る存在となりました(実現は遠そうだが)。
 米大統領の立場ゆえ、周囲から懸念される行動を押し通すには、並々ならぬ勇気が必要だったことでしょう。
 その機会を待ち望んだ被爆者および関係者の方々が、憎しみでなく未来を見据えて握手する姿に、苦しみ続けてきた年月と、残された年月で果たすべき使命にわずかでも光が差し、「生き残ってしまった」理由を納得できますように、と。
 そんな感情を抱くのは日本人だけかも知れないが、オバマ大統領の言葉が世界に響くことを祈るところです……

2016/05/23

格差を実感する──広尾

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2016.5.23にアップしました。

 丘の上に鎮座する超高額の「ヴィンテージ・マンション」の中はのぞけそうもないが、こちらも「べつにいいか」ってところです。
 日赤医療センターに向かう狭いバス通りが付近のメインストリートらしく、個人的には好感を抱くも、自治体の地域再開発ビジョンは、ヴィンテージ・マンションのようなイメージを目指したいのでは?
 夢で若者を踊らせるにも、肝心の頭数が増える見込みはありません。そんな時代なのにアベノミクスがアピールするのは、大きな金が動くビジネスの環境整備だけで、はなから庶民そっちのけの政策が、格差拡大を後押ししていると感じる場所柄です……

2016/05/16

「風街」に吹く風とは?──西麻布

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2016.5.16にアップしました。

 付近を調べるうちに、忘却の彼方に消えていた「風街」というイメージに再会します。作詞家の松本 隆が「はっぴいえんど」時代(2ndアルバム『風街ろまん:1971年』)から表現し続けるもので、彼が生まれ育った西麻布界隈を思い描いたものらしい。
 周辺には、いまもバブル期の遺構のような装飾過多な建物が目に付きますし、そこで働く連中には『風をあつめて』? 「金を」じゃないの? と返ってきそうな空気が漂います。
 谷筋で風があつまる場所柄は変わらないとしても、現在この町には、どんな風が吹いているのだろうか……

2016/05/09

墓地と基地──南青山〜六本木

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2016.5.9にアップしました。

 右の米軍施設は、2.26事件の拠点が戦後接収されたもので、アメリカ大使館や米軍宿泊施設「ニュー山王ホテル」に近いため、キャロライン・ケネディ大使も利用していそうです。
 1985年ヘリポート地下のトンネル工事の際、代替地として提供した青山公園の一部は工事後も返却されず、新旧のヘリポート用地を総取りされます。そんな状況に「アメリカ側は応じない」と手をこまねいた日本という国は、何という「おひとよし」かと呆れます。
 トランプ発言に対しては、「この施設は不要なので、金は払わない」(アメリカは選択権を認めず金を払えと恫喝するのか?)と言ってやればいい!

2016/05/02

陽光のいざない──根津美術館庭園

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2016.5.2にアップしました。

 燕子花(かきつばた)の花が開く前から「燕子花図屏風:国宝」を公開する、季節感先取りの演出は申し分ないものの、花の時季は人気のあまり、庭も絵も落ち着いて見ていられないようです。
 確実に増えたと実感する海外からの見学者に、桜が散った後の新緑の楽しみ方を伝えられれば、四季の中で生きる日本人の理解につながるのでは? とも……

2016/04/25

狭さは文化を生むが……──青山〜広尾

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2016.4.25にアップしました。

 近ごろ青山学院の自慢は箱根駅伝2年連続優勝なので、レンガの外壁に貼られる長〜いポスターに「来年も?」と目が止まります。
 原 晋(すすむ)陸上部監督が語る「メンタル」「体幹」強化の重要性は、近ごろよく耳にするテーマで各校も取り組むと思うが、ぶっちぎりの強さを生み出した指導法には、これまでの体育会系に欠けていた「繊細さ」があったのかも知れません。
 学内には、渋谷川水系「いもり川」の水源がありましたが、正門前の国道246号線付近は原宿側(旧穏田川)との分水嶺ですから、高台の狭い様子がうかがえます……

2016/04/18

再開発しても広くならない──渋谷〜恵比寿

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2016.4.18にアップしました。

 渋谷駅再開発工事は「平成37年完成予定」と目にした瞬間、駅の姿は二の次で、その頃の自分はどうなっているのかと、遠い未来に思いを馳せてしまいます。
 これまで駅ビル(東急東横店)の地下を通っていた渋谷川は、流路変更+地下貯水槽が設置されますが、バスロータリーの地下には現在の東横線渋谷駅があるため、地下の構造物も隙間なく設置されるらしい。
 新設された東横線地下ホームが以前と同様狭いように、再開発しても土地は広くなりませんから、地上も地下も窮屈な渋谷らしさは変わらないようです……

2016/04/11

狭い場所が落ち着く?──渋谷

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2016.4.11にアップしました。

 繁華街は表と裏の共存で成り立ち、裏の存在は男女の意識下に刺激をもたらしますが、近ごろは父親に代わり「こんな場所でデートするんじゃない!」と、いらぬ世話をやきたくなる…… そんな場所でのドキドキ感は当事者にしか分からないので、いい経験となることを。
 繁華街での競争は激しく、目先を変えるリニューアルや、店の入れ替わりも頻繁なため、目的の店が無く途方に暮れる人をよく見かけますが、その多くは「記憶違い」ではないか?
 「あったはずなんだよ!」が、あったのか、元々なかったのかはどうでもよくなり、「とりあえず入るか」に追い込む集客力が、繁華街の作戦と言えそうですが、飲屋街へ足を踏み入れた瞬間に、のどから手が出てしまうわたしは、格好のカモです……

2016/04/04

花見は人見──馬事公苑、砧公園

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2016.4.4にアップしました。

 人出の多い公園では雰囲気に舞い上がり、桜の森の満開の下で「狂う?」やからを目にしますが、そんな姿に春らしさを感じるわれわれも、浮かれているようです。
 普段の酔っ払いはうっとうしく、蹴飛ばしても分からないだろうと思うも、花見の晴れやかさは理解できるため、迷惑がなければ許せる寛容さを持てます。都市部で暮らす者は、収穫の秋を迎えるよろこびを実感できないため、町でも感じられる桜の満開を、「祭り」として体現したくなるのかも知れません。
 全員が名札をつけた集団は「花見 de 合コン」らしいが、盛り上がり過ぎて失敗するヤツの方が多いんだろうなぁ、とも……

2016/03/28

「春の小川」の遊び方──参宮橋

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2016.3.28にアップしました。

 右は「渋谷はるのおがわプレーパーク」。
 プレーパークとは、ブランコやシーソーなど既成の遊具を設置せず、一般の公園では禁止される木登り、穴堀り、たき火などを可能とし、「自分の責任で自由に遊ぶ」を基本ルールとした遊び場のこと。
 樹上に築いたやぐらからの眺めや爽快感は格別なのに、そこでスマホなんか見ていたら取り上げたくなります。
 それにしても女の子ばかりとは、どういうこと? われわれも親をガッカリさせたように、子どもに期待することは間違いと思いながらも、「仕方ないじゃん」と言われたら力が抜けてしまいそうです……

2016/03/21

珍しいものを見る目──代々木上原

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2016.3.21にアップしました。

 小田急線の車窓から見えるモスクは、「東京ジャーミイ・トルコ文化センター」として2000年に再建されたもので、現在は再建を支援したトルコ大使館に所属するそう。
 トルコの前身オスマン帝国(多民族・多宗教国家)は、第一次世界大戦の敗北で分断されて以来、民族問題や隣国との火種を抱えます。
 ムスリムの国籍は多様であっても、どの国でも同一の教典が読まれるのですから、「目には目を…:犯した罪は自分に返ってくる(犯罪抑止が本来の趣旨)」の解釈は同じであるべきで、過激派組織の勝手な解釈は許されるものではありません……

2016/03/14

路地をさまよう習性──原宿

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2016.3.14にアップしました。

 週末の表参道は上京組が多いため、目的を持った(バーゲン?)人の流れに見えますが、路地にあたるキャットストリートには、のんびり散策を楽しむ雰囲気が感じられます。
 ここは、暗きょ化された旧穏田川(渋谷川)上に整備された遊歩道で、路地に潜む店舗を求めて歩く若者の姿は、新橋の路地裏をさまようオヤジと変わらないのでは?
 右はキャットストリート(右)と旧隠田川(左)の分岐点で、以前同じ場所の写真を目にした記憶があるが、誰が撮ってもおもしろい絵に……

2016/03/07

記憶の上書きが可能な町──新宿

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2016.3.7にアップしました。

 渋谷川支流とされる旧原宿川沿いの通りには、ウインドウショッピングや散策が楽しいシャレた雰囲気の店舗が、北参道方面へと続きます。
 ですがそんな地域も、終戦直後は都内屈指の「温泉マーク街」(懐かしい表現)とされたそうで、所々に残る古い建物に息づく生活感からは、世代交代を含む「地域更新」は始まったばかりとも。
 そんな地域再生を後押しするのが、以前の記憶が上書きされても「仕方ない」とあきらめ、前しか見ようとしない東京という町の「都合のよさ」かも知れません……

2016/02/29

爆買い最後の春?──新橋

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2016.2.29にアップしました。

 中国の春節休み中の銀座八丁目付近には、視界の中はすべて中華系観光客で埋め尽くされているのでは? という光景が広がります。
 歩行者天国手前では、次々到着するバスから観光客がゾロゾロ降りてきますし、観光客目当ての中華系路上セールスが待ち構えていたりと、言葉ばかりか空気にも「ここは日本じゃない!」との喧噪感が漂います。
 中国バブルの雲行きもあやしそうなので、春の風物詩(?)の爆買いツアーも見納めとなるかも知れません。売り上げが落ちる時期を「二八(にっぱち)の救世主」に助けてもらったんだから、自立せにゃと言いたいところですが……

2016/02/22

オヤジの聖地包囲網──虎ノ門

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2016.2.22にアップしました。

 新橋周辺では、汐留再開発、イタリア街に続いてシャンゼリゼと、オヤジの聖地包囲網が迫り、JR高架橋の耐震補強工事によりガード下の古い店舗が整理されたりと、再開発は秒読み段階なのか?
 近ごろの繁華街では、高度成長期を支えた建物が更新時期をむかえると、地域のイメージアップに再開発計画を考えたくなるらしい。
 オヤジの街頭インタビューで露出が多いことよりも、「新しい街に生まれ変わりました!」と、胸を張りたいようです。
 再開発後のこぎれいな飲み屋で、行儀よくお飲みなさいとされても、居心地の悪いオヤジたちは立ち寄らなくなります。
 動き始めたら、あれよあれよとオヤジの聖地は消えゆくのか……(右は愛宕神社の結婚式)

2016/02/15

坂との付き合い方 ──紀尾井町

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2016.2.15にアップしました。

 上智大学脇から大刀洗川支流の清水谷が始まり、ホテルニューオータニ前に清水谷公園の緑が残ります。明治維新の立役者大久保利通は付近(紀尾井町)で暗殺されたため、公園に追悼碑が建てられます。
 紀尾井町の名は江戸時代、紀伊(紀州徳川家)、尾張(尾張徳川家)、井伊(井伊家)の屋敷があった地、に由来するそう。
 屋敷の作庭には、急な斜面もおもむきとして活用できますが、そんな場所を町にすると、突然の階段や無理矢理坂道にする箇所が生じます。旧赤坂プリンスホテルの建て替えでは、「これが現代の坂との付き合い方」と言うかように、なだらかな坂の部分まで掘り返してビルを建てていました(赤坂じゃなくなっちゃう?)……

2016/02/08

新たな夢を築く地──国立競技場跡地

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2016.2.8にアップしました。

 解体・整地後は、 2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会に向け、新たな夢を築き始めるはずの国立競技場跡地は野ざらしのままです。
 競技場設計やエンブレム見直しの際に「透明性を重視」と耳にしたが、競技場設計ではA案・B案をチラッと見せて、すぐに決定されました。不正防止のため応募詳細を公表しない姿勢は理解するも、国民が抱く不信感の払しょくにもう少し努力が必要ではなかったか……

2016/02/01

谷で接した「天と地」──赤坂御用地

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2016.2.1にアップしました。

 鮫ケ橋は元の鮫川に掛けられた橋で、付近で信濃町駅方面からの千日谷と合流するためたびたび氾濫したらしく、下水となった現在も隣接の公園地下には調整池が設置されます。元の流れは赤坂御用地の池に注ぎ外濠に至りましたが、江戸期の付近には火葬場・岡場所(私娼の歓楽街)があり、明治期は東京最大の貧民窟だったとのこと。
 赤坂御用地の正門である「鮫が橋門」はその橋のたもとにあります。1873年(明治6年)皇居が焼失し明治天皇がこの地に移った際は、治安の悪そうな門を出入りしたのだろうか?
 当時の元帥にそんな心配は無用かも知れないが、庶民はどんな思いで眺めていたのだろう……(右は迎賓館)

2016/01/25

ランナー&ライダーの聖地──皇居外苑

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2016.1.25にアップしました。

 竹橋交差点で信号待ちの際、すぐ脇から複数の「ガチャガチャ」音が聞こえてきます。北の丸公園への坂道に向かうバイク(自転車)集団のギアチェンジの音です。
 上り坂は、離されると差が広がる踏ん張りどころなので、懸命な姿には迫力があります。
 歩道を走るランナーと違い、車道を走る自転車は信号に止められそうですが、あるタイミングで信号を通過できれば、いくつか先の信号までスルーできる、などのプランがありそうです……