2016/02/01

谷で接した「天と地」──赤坂御用地

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2016.2.1にアップしました。

 鮫ケ橋は元の鮫川に掛けられた橋で、付近で信濃町駅方面からの千日谷と合流するためたびたび氾濫したらしく、下水となった現在も隣接の公園地下には調整池が設置されます。元の流れは赤坂御用地の池に注ぎ外濠に至りましたが、江戸期の付近には火葬場・岡場所(私娼の歓楽街)があり、明治期は東京最大の貧民窟だったとのこと。
 赤坂御用地の正門である「鮫が橋門」はその橋のたもとにあります。1873年(明治6年)皇居が焼失し明治天皇がこの地に移った際は、治安の悪そうな門を出入りしたのだろうか?
 当時の元帥にそんな心配は無用かも知れないが、庶民はどんな思いで眺めていたのだろう……(右は迎賓館)

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