2016.6.20にアップしました。
江戸期、中ノ橋付近にあった久留米藩 有馬家屋敷内の「水天宮:久留米から勧請(分霊を他の地に祭る)」は、塀越しに賽銭が投げ込まれるほど庶民に信仰され、後に屋敷内のお参りを認めると、有馬家・情け深さを掛けた「なさけありまの水天宮」という地口(じぐち:駄洒落)がはやります。
また、当時では異例の高さ三丈(約9m)の火の見櫓を建てると、有馬温泉(出身地)・水天宮・火の見櫓を掛けた「湯も水も火の見も有馬の名が高し」とされるほど、江戸っ子がひいきにしたのは、「ありま」の語呂が受けたような気がします。
水天宮は日本橋蛎殻町に移転し、現在も信仰を集めますから、ご利益は健在のようです……(右は付近の元神明宮)
また、当時では異例の高さ三丈(約9m)の火の見櫓を建てると、有馬温泉(出身地)・水天宮・火の見櫓を掛けた「湯も水も火の見も有馬の名が高し」とされるほど、江戸っ子がひいきにしたのは、「ありま」の語呂が受けたような気がします。
水天宮は日本橋蛎殻町に移転し、現在も信仰を集めますから、ご利益は健在のようです……(右は付近の元神明宮)
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