2014/07/21

「吉原」に行ってきました……

【東京都】──「隅田川を歩く_17」
2014.7.21にアップしました。

 「男が吉原に行く理由は決まっている」地に初めて足を踏み入れ、「写真を撮ってきました」の説明は、ラブホテルに入り「何もありませんでした」の釈明のように説得力ゼロです。しかも町の様子は「帰りがけにスマホで撮ったんじゃないの?」と言われそうな1枚だけです。
 だって、昼間から店の入り口に立つ「笑顔が怖い」黒いスーツの兄ちゃんに声をかけられ、カメラを構えられる状況じゃなかったんだもん…… そんなの当たり前さぁ〜

2014/07/14

「現代のジョー」はいるのか?──旧山谷

【東京都】──「隅田川を歩く_16」
2014.7.14にアップしました。

 旧山谷地区が舞台の漫画『あしたのジョー』のテーマはハングリー精神と思うも、極端な二極化社会とされる現代に、身ひとつで底辺から上を目指す精神は生まれるだろうか? そんな状況だからこそヒーローの誕生を応援したくなるのです(わたしは、○村田諒太、×亀田一家です)。
 テレビ版は見ておらず、印象にあるのはキャラクター(力石徹、カルロス、小さな女の子)だけで、右のお嬢さんとの関係は覚えてないが、このツーショットはとてもいい雰囲気です……

2014/07/07

モヤモヤし続け数十年……──綾瀬

【東京都】──「隅田川を歩く_15」
2014.7.7にアップしました。

 近ごろ首都圏の私鉄各線では、地下鉄および反対側路線との相互乗り入れを戦略としますが、東急東横線〜地下鉄副都心線の乗り入れでは、JR渋谷駅の乗降客数が3位から5位に下がり収入も減少の発表に、その威力を思い知らされます。
 便利・不便は人それぞれでも、神奈川県育ちには見慣れた小田急線や田園都市線の車両を、北千住駅付近で目にする違和感に「アウエー」を実感します。
 小田急線〜千代田線の直通運転は1978年に始まり、見慣れない「綾瀬行き」を目にした際、おそらく神奈川県綾瀬市(交通情報で耳にする「綾瀬バス停」)との混乱から「モヤモヤ」がはじまったようです。
 そんな数十年来の「モヤモヤ」を解消しようと、足を伸ばしました……

2014/06/30

「川の手」暮らしの魅力──荒川土手

【東京都】──「隅田川を歩く_14」
2014.6.30にアップしました。

 荒川土手から北千住に戻る道すがら、おばあさんの歯切れのいい口調(耳心地よくスカッとする)や、台所で包丁がまな板を叩く音などを耳にすると、癒されるというより「とけ込みそう」で、「ただいま」と口にした途端に「川の手」暮らしが始まりそうです。
 川の流れは存在理由が明快(水が海に流れる)なので、日常生活の「意識変化」を投影しやすいように感じます。
 荒川・隅田川も持ち合わせるそんな性格は、京都の川や、四万十川と同様の「なごみ」作用があるのでは、と思ったりします……(右は「青空理髪店」営業中!)

2014/06/23

住民の愛着を感じる──北千住

【東京都】──「隅田川を歩く_13」
2014.6.23にアップしました。

 北千住に降り立つのは初めてで、メジャーな印象から大々的な再開発が進んでいると思いきや、下町の空気が漂う繁華街では、気取らない若者や若ぶるオヤジたちの活気が町をもり立てています。
 下町育ちが中央線沿線のように「モダンさ」を取り入れている、で伝わるだろうか? 住民が町に愛着を抱いている印象に、ちょっとファンになっちゃいました。
 訪問者は右を「敷石が真っすぐじゃない」と感じるも、下町育ちは「どこが曲がってるんだ?」と反論しそうです。
 彼らは「曲がったことが嫌い」でなく、曲線を描けないだけで(怒られそう)、「角度の違う直線が続く」なんて言われたら、ごもっともと引き下がるしかありません……

2014/06/16

旧街道が住民のより所──千住大橋

【東京都】──「隅田川を歩く_12」
2014.6.16にアップしました。

 千住大橋を渡り北千住に入るも、中心部ではないためか緑を多く目にします。
 旧日光街道沿いに寺社が多いこともありますが、現在でも「旧街道ありき」と、街道を中心とした町づくりを受け継ぐ姿勢に拍手を送りたくなります。それは裏通りも同様で、「町の形」を継承しようとする取り組みのようにも感じられます。
 お年寄りが暮らしやすい町に必須の介護施設も狭い裏路地にあり、右の「散歩がてら」気軽に立ち寄れそうな立地には、さすが下町の配慮! と、勉強させられます……

2014/06/09

のびのび「リバーサイド」──旧汐入地区

【東京都】──「隅田川を歩く_11」
2014.6.9にアップしました。

 知名度で北千住に水をあけられた南千住の旧汐入地区には、貨物駅や地下鉄車両基地に加え、広大な工場が広がっていましたが、工場移転後の再開発により、高層マンション群や公園が整備され、現在は若いファミリーが集まる地域となります。
 アクセスは山手線日暮里駅から常磐線で2駅と文句無く、隅田川リバーサイドの立地による空も広い場所柄は、人気が高いようです……

2014/06/02

前途三千里のおもひ……──南千住

【東京都】──「隅田川を歩く_10」
2014.6.2にアップしました。

 松尾芭蕉『奥の細道』の「矢立ての初め:旅日記の書きはじめ」に「千じゆ」の名が登場することから、旅立ちの地とされます。
 江戸時代「大江戸八百八町」の外れとされ、奥州・日光・水戸道が分岐する最初の宿場「千住宿」で、江戸を離れる寂しさを感じたのでしょう。
 そこに記された「前途三千里のおもひ胸にふさがりて…」は、「母をたずねて…」など「果てしない旅」のルーツ? と調べると、中国の唐時代には「三千里流罪の刑」があったことから、「今生の別れ」との覚悟が込められていたようです……

2014/05/26

下町になじむアジアの庶民──三河島

【東京都】──「隅田川を歩く_9」
2014.5.26にアップしました。

 駅前の商店街で、韓国語が当たり前のように飛び交う様子には戸惑いますが、近所の方と日本語で世間話する姿には、確固たるアイデンティティを盾に異国で生きるたくましさがあふれています。
 明治期周辺にあった屠殺場から出回る豚の耳、しっぽ、内臓等は、当時の日本人に食習慣がなく、韓国出身者が食材に利用したのが、近隣韓国料理店のルーツとのこと。
 地域にはインターナショナルな「つて」で、アジアからの流入者が集まるらしく、フィリピンの言葉(?)を耳にしたり、右は竜の絵から中国系に見えますし、一帯はアジア系庶民の巣窟となっているのかも知れません……

2014/05/19

ポールがやって来たジェ!ジェ!ジェ!

【東京都】──PAUL McCARTNEY 〝OUT THERE JAPAN TOUR 2014〟中止
2014.5.19にアップしました。

 ニュースでも報じられるように、5月17・18日(17日の振替19日)の公演はポール体調不良のため中止となりました。
 昨年公演でのチケット争奪戦に敗れ、再戦でリベンジがかなうと思ったものの、直前に落とし穴があるとは……
 観客側も年齢(71歳)のリスクはさておき、本人の再来日への意欲を「ポールのラストライブ?」と楽しみにしていました。
 きっと改めて来日してくれると期待していますが、その際はまた一から出直しです。主催者側は保険を掛けていても、観客側には何の保証も無いことを、ゲート前に立たされ同じ文面を繰り返す職員に謝られても何の慰めにもなりません……

2014/05/12

Old Friendsの遊び場──三ノ輪橋

【東京都】──「隅田川を歩く_8」
2014.5.12にアップしました。

 遠目からは、わけの分からない点描画のように見えるところが好きで、サイモン&ガーファンクルの「Old Friends」を想起しますが、ちと世界が違うようです。
 腕自慢できなくても、思わず声を上げるギャラリーとのコミュニケーションは楽しげで、見学者も「次はオレ!」と意気込んでいます。
 「将棋は記憶勝負」や「脳の活動がもっともエネルギーを消費する」からすると、じいさんたちはじっとして熟考するだけで腹を減らすことでしょう。
 年を取ると、ボケ防止と運動不足解消のバランスを保つのは難しそうです……

2014/05/06

たばこ屋脇の路地裏には……──町屋

【東京都】──「隅田川を歩く_7」
2014.5.6にアップしました。

 たばこ屋脇の路地奧には別世界が広がっていた…… そんな町並みにも路地をふさいでしまう再開発で、行き止まりとされる場所をいくつも見かけます。
 私道である抜け道が突然通行止めにされても文句も言えないが、網目状に分布する路地は無計画なため、一箇所ふさがれるだけで仰天するほどの不便が生じたりします。
 再開発が目指すのは合理的な「今風の町並み」で、混沌とされる「古い町並み」との共存は困難ですから、押し寄せる時代の波に耐えるばかりの「風前の灯」と言えそうです……

2014/04/28

隅田川の夢──東尾久

【東京都】──「隅田川を歩く_6」
2014.4.28にアップしました。

 「悲しい色」をした隅田川流域にもこんな場所があるとは驚きました。ここは工場跡地(ADEKA:旧 旭電化工業)を整備した尾久の原公園に面した堤防です。
 現在は、東京都が自由に使える区画に「理想的な隅田川の姿」を描いただけですが、こんな堤防が連なり水質が改善されれば、庶民が弁当を広げる「江戸時代のような光景」がよみがえるかも知れません。
 非常にハードルが高い「夢物語」でも、これを希望と受け止めたいところです……

2014/04/21

採算より安全優先──日暮里・舎人ライナー

【東京都】──「隅田川を歩く_5」
2014.4.21にアップしました。

 寺社の参道にあるせんべい屋では、商品ケースが古く個性的なものほど「味がしみてそう」と感じたりします。
 上得意である年配者の、考えなしに「せんべいで十分」と手みやげにする習慣は、「またせんべいをもらった」と自分に返ってくる繰り返しを生むようです(好きならいいが)。
 また「せんべいぐらい持って行こう」と、手みやげの代名詞に使う人も多いようで、「みやげ」の表現ではかしこまってしまうも、「せんべい」は気取らない心付けの表現とするところに、江戸期の感覚が息づく様を感じます……

2014/04/14

水辺の景勝地とされた──王子

【東京都】──「隅田川を歩く_4」
2014.4.14にアップしました。

 武蔵野台地の水を集めた石神井川が、台地のふちを浸食しながら隅田川へと下る道筋に生まれた「王子七滝」は、江戸時代には浮世絵とされる景勝地でしたが、現存するのは地下水を水源とする名主の滝だけとなります。
 おそらく等々力渓谷のような景観だったでしょうが、洪水対策として飛鳥山の下にバイパスを通したように、右橋下の音無川親水公園は、防災対策万全で野趣のない公園として整備されました……

2014/04/07

旬に敏感な国民性──荒川線沿線

【東京都】──「隅田川を歩く_3」
2014.4.7にアップしました。

 花もほころぶ陽気に誘われ、もぞもぞと表に出てくる虫のようだと実感する「春」の到来です!
 農耕民族の遺伝子に組み込まれたような「花見」の季節感は、自然に従い歩む民族の証ですから、一体感を楽しむべきなのでしょう。
 短い「旬」を敏感にとらえる感度は素晴らしいのですが、「身をゆだねてしまう」スキだらけの姿は、四季の暮らしの中で最も無防備に映る瞬間ではあるまいか?(それでいいんです!)
 親たちの高揚感を察知する子供たちは、はしゃぎ、ねだりますが、「モノ」ではないことに気付いて初めて、この「春の儀式」の意味を理解していくのでしょう……

2014/03/31

川に挟まれて大丈夫?──ハートアイランド

【東京都】──「隅田川を歩く_2」
2014.3.31にアップしました。

 右写真は何か加工した? と思ってくれたら報われるような、めちゃくちゃ強い北風が吹き荒れ、京葉線などは当然運転を見合わせた「春分の日」の様子です。
 堤防の上で受ける突風でも、向かい風には踏ん張れるのですが(反骨精神は大丈夫)、斜め後ろからの追い立てられるような風(下からの突き上げ?)には浮き足立ってしゃがみそうになり、「踏ん張りが利かなくなった?」と自信が揺らぐ事態に……

2014/03/24

春は隅田川?──岩淵水門周辺

【東京都】──「隅田川を歩く_1」
2014.3.24にアップしました。

 春一番の嵐もやってきたので「春のうららの隅田川〜♪」っと、今回から隅田川沿いの下町を歩きながら、ぼちぼちスカイツリーでもと考えています。
 隅田川の名は元々入間川(荒川支流)下流の俗称でしたが、荒川本流とされた時代を経て、明治末〜昭和初期に建設された荒川放水路(岩淵水門〜葛西臨海公園付近の河口まで)が荒川本流とされ、岩淵水門〜竹芝桟橋付近の河口までを正式に隅田川としたのは1965年になります……

2014/03/17

東京が祈りを捧げた夜──赤羽橋〜大門

【東京都】──「大江戸線を歩く_37」
2014.3.17にアップしました。

 東京タワーのライトアップが消された2日間(3月10日:東京大空襲から69年、3月11日:東日本大震災から3年)の、「東京が祈りを捧げる」ような姿には響くものがあり、震災後真っ暗になった町の様子がよみがえりました……
 様々な思いを胸に「あの時感じ、考えたこと」を忘れぬよう心掛けるつもりでも、現在何の備えもしていない現実にたどり着きます。
 阪神淡路大震災を受け非常持ち出し袋を準備し、東日本大震災で期限切れの保存食を処分した、では語る資格はありません。
 非常時も「できるだけ自力で」だけでなく、微力でも周囲に援助ができるような準備を目標にすべきなのでしょう……

2014/03/10

東京タワーは日本の「へそ」──赤羽橋

【東京都】──「大江戸線を歩く_36」
2014.3.10にアップしました。

 以前東京天文台が設置され海まで見渡せた丘陵地には、その記憶をとどめるかのように「日本経緯度原点」がひっそりとたたずみます。
 日本のへそとしては無防備なモニュメントのように見えますが、東日本大震災などで高さ・位置の変動を受けた際でも、ここを基準として変動前後の比較・補正が行われるため、原点にはさほど厳密さは求められません。
 映り込む絵から視線を上げ、間近の東京タワーは日本の「へそ」だったのか? と、また違う感慨で見上げることができました……

2014/03/03

麻布で一番庶民的な──麻布十番

【東京都】──「大江戸線を歩く_35」
2014.3.3にアップしました。

 麻布十番といえば、町中にある広場「パティオ十番」が印象的ですが、区画整理のつかなかった土地活用法とのこと。もうひとつの公園を含め「地域独特の流儀?」と思ったりします。
 右は、野口雨情の「赤い靴」に描かれた「岩崎きみ」ちゃん像。
 「赤い靴」と言えば横浜山下公園と思いますが、「異人さんにつれられて」(×ひいじいさん)船に乗ったと思いきや、彼女は結核で船に乗れず鳥居坂教会の孤児院「永坂孤女院」で亡くなります。
 教会はカナダ・メソジスト教会のもので、隣接する東洋英和女学院はその教育機関として設立されたもの……

2014/02/24

外国人旅行者も「危険」とされる──六本木

【東京都】──「大江戸線を歩く_34」
2014.2.24にアップしました。

 この付近で続いた大規模再開発事業には、先鞭となるアークヒルズ、六本木ヒルズ、東京ミッドタウン+国立新美術館、赤坂サカス等がありますが、それぞれものすごいパワーが要されたと思うも、人の流れを生み出す「仕掛け(戦略)」が当たった成功例とされるのでしょう。
 週末に足を運べば、普段とまるで違う客層(若年)にシフトする様子を目にし、戦略の見事さに感心させられます……(本文へ)

2014/02/17

春を祝い、春を願う──青山一丁目〜六本木

【東京都】──「大江戸線を歩く_33」
2014.2.17にアップしました。

 右は乃木神社でシャッターのお返しに撮らせてもらった絵で、こちらは帯を撮りたい、顔にぼかしを入れたくないため「後ろ向いて」とお願いすると、「顔が写らな〜い」「顔はいらないのよ!」と怒られます……
 確かに後ろ向きでは、アイデンティティーである顔ではなく「お尻を撮りたいの?」と思われても仕方ありません(成人式とは違うのです!)。
 その後、このアングルから振り向いた写真を「こっちの方がイイ!」と気に入ってくれたので、許してね……

2014/02/10

盛り上がりに乗れなかった ──赤坂道草_2

【東京都】──赤坂で道草_2
2014.2.10にアップしました。

 バブル期赤坂周辺の盛り上がりは、乗れない者には場違いな雰囲気で、「沈まない太陽」に誰も疑問を感じなかった時代には、身なりを整えた「ワル:政治家に取り入ろうとする」の盛り立て役のように、一般のサラリーマンが踊っていました。
 虹色に見えても中身の無い泡の錬金術は、横井秀樹(元ホテルニュージャパン オーナー)を初め、私腹を肥やそうとする連中が「ブクブク」と息を吹き込み、世間が泡で飽和状態になった瞬間、破裂の連鎖が始まりました……
 付近を自主的に歩くのは初めてと思いますが、今回の訪問でも印象は変わらないので、「魅力を感じない町」のままという気がします……(右は上智大学)

2014/02/03

せせこましい中心地──赤坂道草_1

【東京都】──赤坂で道草_1
2014.2.3にアップしました。

 昨年赤坂プリンスホテルは、徐々にビルが低くなる解体法で注目されながら姿を消し、都の有形文化財である旧館がジワジワと移動する様子を目にしました(右写真手前は赤坂見附跡、奧が旧館)。
 旧館の建物は工事後も保存される計画のため、現在も台座に置かれた状態です。
 バブル期に「高級感ムード」を盛り上げ、デートスポットのトレンドを演出したように、解体の際も「最新技術」をアピールする姿勢からは、今後の建設時にも何かサプライズがあるのか? と思ったりします。
 建物はあっさりと消えてしまうのに、はじけてしまった思い出はよみがえってきます……

2014/01/27

再立ち退きが迫る──国立競技場前〜青山一丁目

【東京都】──「大江戸線を歩く_32」
2014.1.27にアップしました。

 明治神宮野球場は「神宮外苑にある野球場」ではなく、明治神宮が所有する野球場(1925年建設)になります。以前は神聖な場所とされ、アメリカのチームを招いた試合が元で傷害事件が発生したそうで、傘を振り回すなんてもってのほか! だったようです。
 国立競技場の再開発地区から外れるも、2021年には神宮外苑再開発計画があるらしく、それまでは部分補修(この日も工事中)をしながら維持されるようです。
 現在では器の小さい球場とされますが、どっしりとした存在感は、フィールド・オブ・ドリームスをイメージするにふさわしい印象があります……

2014/01/20

真冬の華──代々木〜国立競技場前

【東京都】──「大江戸線を歩く_31」
2014.1.20にアップしました。

 昨年末中学の同級生たちに会った際、子どもの成人・就職の話しに接し、父親の立場について「なるほど」と感じさせられました。
 この春「ジイジ」になるヤツに驚くも、親子で「早婚(イケイケ!)」の選択も楽しそうに思えましたし、年齢なりに「人生いろいろ」に接しますが、年初に明るい話題に触れられ感謝です。
 成人式は笑顔と会釈で写真を撮らせてくれる「ハレ」の日で、母親の「注目してくれるのは、今日と結婚式だけよ」を満喫するヒロインがアピールする場であり、親には「育て上げた」感慨に浸る大きな節目となります。
 自分は学生だったせいか、自覚が足りなかった印象が残ります……

2014/01/13

新春の人波へ!──新宿〜代々木+湘南

【東京都】──「大江戸線を歩く_30」
2014.1.13にアップしました。

 湘南地区で毎回感じるのが、幅を利かせる「ヤンママ」「ヤンキー娘」の存在感はなぜ「図太いか?」です(藤沢の元ヤン中居正広の認知度には関係ないでしょう)。
 かつて不良扱いの「湘南ボーイ」を育てた(と言っていい)「おおらかさ」が、地域に根付いているようにも。
 宅地開発当初から「海好き」の人種が集まったため、縛られることを嫌う自由な空気を持つ地域性が生まれたようで、彼らは都会に媚びない確固たる地方(田舎)意識の自負を持っています……

2014/01/06

年の瀬の静けさ──都庁前〜新宿 & 湘南

【東京都】──「大江戸線を歩く_29」
2014.1.6にアップしました。

 片瀬海岸西浜(新江ノ島水族館前)で、「HORSE CAMP 茅ヶ崎」のポニー外乗に出会いました。
 季節外れだから可能なわけで、人出の多い海水浴シーズンに、ボロ(ふん)を所構わずしてしまう馬が海岸に入ったらそれこそ大変! この日も片付ける方が待機します。
 そんなことからも、なかなか身近な場で馬と親しめない面もありますが、2014年は「うま年」ですから、是非一度乗馬にチャレンジしてみてはいかがでしょうか? きっと、親しみを抱けるはずです!……

2013/12/30

「逆さま」という視点──練馬春日町〜光が丘

【東京都】──「大江戸線を歩く_28」
2013.12.30にアップしました。

 前日の雨で出現した水たまりが遊び場となるこの区域は「プレーパーク」とされ、施設管理者の元であれば火を使うことも許される、子どもたちの「自由空間」です。
 右の絵から宮沢賢治の世界を想起したので調べると、「逆さま」というキーワードを目にします。
 鏡で左右の逆を知り、水たまりから天地(上下)の逆を知ることにより、物体や事象の奥行きを学んでいくという、素晴らしい視点!
 「そこに映る姿はボクに似てるけれど、どうしても自分とは思えない」(創作です)、などと悩みながら世界を広げていくのでしょう……

2013/12/23

エルドラドの夢──豊島園〜練馬春日町

【東京都】──「大江戸線を歩く_27」
2013.12.23にアップしました。

 としまえんの回転木馬は、1907年にドイツで製作され「カルーセルエルドラド」の名を持ち、日本に現存する最古の遊戯機械として2010年「機械遺産」に認定されます。
 彫刻はすべて木製の手彫り(もちろん木馬も)だそうで、細部を見ると子ども向けではない、作者のロマンや世界観が込められた、芸術作品的な味わいがあります。
 アメリカで乗ったとされるアル・カポネは、退廃的な「黄金郷:エルドラド」を夢見たのではあるまいか。
 そんな舞台にロバート・デ・ニーロが登場したならば、馬の表情も豹変し倒錯した世界になりそうな怪しさを秘めています……(そんな映画のシーンありましたっけ?)

2013/12/16

若く見えるのはなぜ?──練馬〜豊島園

【東京都】──「大江戸線を歩く_26」
2013.12.16にアップしました。

 子どもを見守る今どきのお母さんの姿はカッコよく、自分の小学生時代と比べると、初産高齢化とされ年齢は高いはずなのに、若く見える気がします。ナチュラルな化粧やカジュアルな格好は、活動的と感じるさせる力がありそうです。
 あおりを受けるオヤジたちはイッパイな上に、パートで働く奥さんからグチの先制攻撃を受けると、グチも封じられ言葉数も少なくなります。
 ガキの頃と現在の視線は違うにしても、「お母さんは若く見える」に対し「オヤジは変わらない」ですから、「オヤジ頑張ってるか〜⁉」のエールを送りたくなります……

2013/12/09

学生街+商店街の楽しさ──新江古田〜練馬

【東京都】──「大江戸線を歩く_25」
2013.12.9にアップしました。

 西武池袋線江古田駅は三大学キャンパスの最寄り駅で、駅を中心とした狭い地域に肩を寄せ合い活気を生み出す商店街に、通った大学近くの京王線下高井戸駅周辺を想起します。
 関東大震災(1923年)以降、地方からの流入者は下町ではなく高台を目指すようになり、武蔵野の人口が爆発的に増加し、東武東上線、西武線、中央線、京王線、小田急線、東急線沿線に、庶民の町が誕生します。
 商店街に感じるなじみやすさや親しみは、食料品や日用品を扱うからではなく、日常生活の一部となる「アイコンタクト:あいさつ」や「仲間意識」の楽しさにあることを、ひとりで暮らすようになって実感するようになります……

2013/12/02

受け継がれる遺産──落合南長崎〜新江古田

【東京都】──「大江戸線を歩く_24」
 2013.12.2にアップしました。

 モスクのようにも見えますが、この建造物も人々に「安心感」を与えてくれる施設です。
 この塔は、関東大震災(1923年)後の東京市近郊の急激な都市化による水需要の要請から、世田谷区喜多見の砧(きぬた)浄水場から多摩川の水を引いた「荒玉水道」の配水塔で、現在は中野区の災害用給水槽として活用されます。
 通った大学に近い京王線桜上水駅前の一直線に伸びる道は、導水管上に設置された荒玉水道道路で、真っすぐでも道幅が狭い上に電柱が邪魔で走りにくい道でした……

2013/11/25

哲学(考えること)の必要──中井〜落合南長崎

【東京都】──「大江戸線を歩く_23」
 2013.11.25にアップしました。

 若い時分、頭の中の考えを具象化することは困難と思っていましたが、オヤジになると「具体化以外に表現法はない」ことを学び、臨機応変の対応に腐心することになります。
 さまざまな局面でヒントを与えてくれる「哲学(考え方)」は普遍的な考え方であるため、具象・具体化の実践はわれわれ自身に託されます。その苦悩が「生き様」の証しになるというのが、哲学の導きではあるまいか。
 ですが、普遍的な導きからは「考え方は間違っていない」「方向性は同じ」でも、数学の解のように同じ結論に至ることはまずありません。
 それこそが数々の「哲人」たちが訴えてきた、世の中の「多様性」「豊かさ」につながることなのだと思います……(右は哲学堂公園)

2013/11/18

ビニール袋を握りしめる充足感──東中野〜中井

【東京都】──「大江戸線を歩く_22」
 2013.11.18にアップしました。

 下落合駅近くで元気な鮮魚店に出会い、その光景に若い時分に通った商店街の様子を想起しました。
 魚屋(当時シメサバが大好物)、豆腐屋(家で厚揚げ・がんもを焼いた)、肉屋(唐揚げがおいしい)で、それぞれ単品で買うためレジ袋には入れてもらえず、持ち手のない透明のビニール袋の端を握りしめ、ぶら下げ帰る際の充足感を思い出します。
 今でも店のオヤジやおばちゃんの顔まで思い出せることから、「地元付き合い」だったと改めて感じます。
 近ごろもコンビニやスーパーの店員さんの顔は覚えても入れ替わりが多いので、いつの間にか記憶から消えることが当たり前になりつつあります……

2013/11/11

JR中央沿線文化──中野坂上〜東中野

【東京都】──「大江戸線を歩く_21」
2013.11.11にアップしました。

 JR中央線の快速通過駅、大久保・東中野を利用した記憶はなくても、大久保には新宿の残り香が、東中野には中央沿線独特の文化が漂う印象がありました(歩いて納得)。
 その起源は、関東大震災以降の東京への流入者が、被害甚大な下町ではなく山手郊外を目指したため、江戸っ子と違う各地方のごった煮文化圏が生まれたのでは、と推測します。
 なんでもあり=よく分からない面もあるが、どこの出身者でも気取らず暮らせる生活圏が形成され、独自の空気感が生まれたのではあるまいか。その一方で、気心知れた途端にベタベタ感が生まれる地域(人恋しい連中のたまり場)という気もします……(右の物体は何なのだろうか?)

2013/11/04

染みついた記憶──西新宿五丁目〜中野坂上

【東京都】──「大江戸線を歩く_20」
2013.11.4にアップしました。

 このホテルはアラーキーが撮影に使用したとされ、本能的欲求をあるがままに受け入れてくれる施設だったようです(2000年閉鎖)。
 この階段には、男女がさまざまな決断をしたであろう生々しさが、いまも残るような印象があります。
 同所の階段上から見下ろす奧には、水辺こそがふさわしく(井の頭公園を想起する)、心中でなくてもある種の「覚悟」を持たねば進めない、いばらの道へと続く階段だったようにも思えます。
 結論はいかようでも、この地に染みついた記憶は、墓場まで連れて行く類のもののように感じられます……


2013/10/28

温泉とガスタンク──都庁前〜西新宿五丁目

【東京都】──「大江戸線を歩く_19」
2013.10.28にアップしました。

 現在パークハイアットホテルの地には以前、ガスタンクが並びました。当初は円筒形で貯蔵量により天板が上下するものでしたが、1975年頃球形のものに建て替えられます。球形の印象が残るわたしの記憶は古いものではないようです。
 ガスタンクが作られる前は「梅屋敷銀世界」が存在したと目にし、何と魅惑的な響き! と。
 江戸時代、都庁を含めた一帯には館林藩・秋元家の梅林があり、そこに「銀世界」という梅屋敷があったとのこと。
 銀世界とは、梅の花を「白銀の花が咲く如く」という、見事な表現によります……

2013/10/21

地震への覚悟──御前崎、浜名湖周辺

【静岡県】──「東海道をゆく_4」
2013.10.21にアップしました。

 右は焼津市街にある津波避難施設ですが、付近にある学校などの避難場所に比べ、キャパの少ない施設です(現在準備中)。
 関係者の話しでは「避難場所は学校等の高いコンクリート製の建物で、ここは逃げ遅れた人の緊急避難施設」とのこと。想定の津波高は2階以下の高さらしい。
 市で確保した指定津波避難ビル、民間津波避難協力ビルでは足りないとはいえ、市街地での避難所設置は敷地確保から始まるため、おいそれと建設できないことも確かです。
 ここはモデル施設かも知れませんが、住民に避難意識を根付かせるためにも増やすべき施設と感じます……

2013/10/14

谷間で汽笛を聞きながら──大井川鉄道

【静岡県】──「東海道をゆく_3」
2013.10.14にアップしました。

 大井川鉄道のSLはサービス満点で、機関車は見えなくても「遠くで汽笛を聞きながら♪」の煙と汽笛が徐々に近づいてくる高揚感には、しびれるものがあります。
 運転手(機関手が正しいか?)も見せ場と心得ていて、橋の上では汽笛も煙も大サービスでアピールしてくれます。
 「久しぶりなの〜」と涙ぐむおばあさんの蒸気機関車に対する郷愁には、時代背景を含め複雑な思いがあることでしょう。
 「キターッ!」の瞬間からあっという間ですが、迫力ある走りには「カッケー!」とほれぼれしますし、郷愁感を持たない若者に人気があることもよく分かります……(右は塩郷の吊橋)

2013/10/07

記憶をつないだ──登呂遺跡・三保・丸子

【静岡県】──「東海道をゆく_2」
2013.10.7にアップしました。

 登呂遺跡に小学校の社会見学で来た記憶には「隣県でも遠かった」「何でここまで来たのか?」の印象がありました。
 当時までに発見された遺跡は数多くあっても、建物を復元する遺跡の先がけだったのか? 単に行き先選定会議で、社会の先生案が通ってしまったのか?
 現地での記憶はほとんど無いものの、ガキ時分に登呂の火起こし像を目にしたらしばらく盛り上がっただろうとも。火起こし体験とかしたのだろうか……

2013/10/03

富士山麓水の恩恵──三島・富士

【静岡県】──「東海道をゆく_1」
2013.10.3にアップしました。

 静岡県は、接する神奈川県育ちのせいか「いつでも行ける」意識から、富士・伊豆以外は後回しとなりました。
 品川〜三島はひかりで30分程度の近場感が逆に、近くて遠い場所としたのかも知れません。
 三島で最初に染み込んできたのは「豊かな水」の印象で、富士山から流れ出た「三島溶岩」は先端の地に、堅固な地盤と伏流水の恵みをもたらしました。
 豊かな湧水が人々を呼び寄せたようです……

2013/09/23

新宿アンダーグラウンド

【東京都】──「大江戸線を歩く_18」
2013.9.23にアップしました。

 9月10日の晩、都庁前の都民広場で開かれた『五輪開催決定都民報告会』では、一部から「イノセ(キではない)コール」が聞かれましたが、あれは知事の要請か?
 熱気は去りましたが、以来町の人々には明るさが感じられます。
 そこで耳にする「また東京だけでしょ!?」の声に対する第2の矢となるのか、2027年開業を目指した「リニア中央新幹線ルート案」が発表されました。
 新旧沿線は悲喜こもごもでも、ようやく復活の兆しが見えはじめたこの国に、未来が感じられたような気がします……

2013/09/16

摩天楼で抱いた夢──新宿西口〜都庁前

【東京都】──「大江戸線を歩く_17」
2013.9.16にアップしました。

 学生時代にはまだ数少なかった高層ビル群ですが、「未来の象徴」への関心から高層階の大衆パブ的な店によく足を運びました。
 町を見渡し「青き夢」を抱いた場所は、何ひとつ成せなかったと素直になれる場所ともなります。
 建設当時は三角の形状で注目されるも、今どきは「地震に強そう」と見る目は変わりました。
 東日本大震災では被害の報告があったらしく、三角の構造は強そうでも、高層ビルでは上・下部での揺れの差が影響するようです。
 次の手には、ペンタゴンの「五角形」が強そうに思えますが……

2013/09/09

隣人と無垢に遊べる日──東新宿〜新宿西口

【東京都】──「大江戸線を歩く_16」
2013.9.9にアップしました。

 以前山手線の車窓から、新宿の職安付近で仕事を求める人の群れを目にした記憶があります。
 コリアタウン大盛況の現状からは、朝鮮半島出身者がらみと想像できますし、この日「やはり」と受け止めたことで古い記憶がよみがえりました。
 半島出身の出自を持つ小学校の同級生が「お前知らないのか?」と、放課後はクラスメートを遠ざけていた事に思い至ります。
 それは社会認識をゆがめてしまった教育の残滓のせいとしても、以前には現在とは比較にならない「被差別意識」を抱き、過ごしたであろう人々がいました……

2013/09/02

苦学生とともに──若松河田〜東新宿

【東京都】──「大江戸線を歩く_15」
2013.9.2にアップしました。

 西早稲田の路地にはいまも下宿屋のたたずまいが健在ですが、むかしの貧乏学生がひどかったことを、五木寛之『青春の門』とシンクロする人は多いのではあるまいか。
 道すがら、ヒロイン織江の「信介しゃん」の声を耳にした錯覚は、若い時分に背伸びしたあこがれが呼び覚まされるようでもあり、なんだか胸がざわざわしてくる。
 サッシ窓の部屋に暮らす現代の苦学生に、この町はどう映っているのだろう……

2013/08/26

明治期の再開発地域──牛込柳町〜若松河田

【東京都】──「大江戸線を歩く_14」
2013.8.26にアップしました。

 明治期の若松・河田町周辺は、広大な武家屋敷跡地に病院・学校など大規模施設、守り継がれる(?)住宅地の狭い路地や、蔵を構えた商家の名残など、多様な人を集めるための整備が行われたようです。
 駅名にある両町とも「丁目」のない単独町名で面積も狭いため、併記で地域をアピールしますが、牛込柳町同様「バス停のネーミング」的なローカルさがあります。
 計画された若松町駅の名称は、フジテレビ移転による河田町衰退防止策で変更されたそうです。
 その成果? なのか、河田町玄関口の地下鉄新宿線曙橋駅前の「あけぼの橋通り商店街」には、いまも活気が感じられます……

2013/08/19

国を守る仕事──牛込神楽坂〜牛込柳町

【東京都】──「大江戸線を歩く_13」
2013.8.19にアップしました。

 防衛省の門では、ドスを利かせてにらみ付ける門番のような守衛(OB or 警察出身?)の迫力に威嚇され、のぞき込むような撮り方はできません。
 北朝鮮のミサイル発射の際、迎撃用パトリオットミサイル(PAC-3)は市ヶ谷にも設置されました。
 ここに配置されたミサイルは「自衛活動のために本部を守る」を第一義とするもので(戦場では軍隊を守るために戦う、に同じ意)、次いで首都防衛とされるようです。
 論理は理解できても「何だかなぁ〜」と、戦争時に感じたのではもう手遅れです……(右奧は防衛省の巨大アンテナ)

2013/08/12

メディアを支えるのは熱意──飯田橋〜牛込神楽坂

【東京都】──「大江戸線を歩く_12」
2013.8.12にアップしました。

 印刷博物館(凸版印刷)で印刷メディア(雑誌・書籍)の仕事は、送り手の「伝えたい」意欲と、受け手の「知りたい」欲求に支えられることを再認識しました。
 展示されるむかしの手作業には「根気あるなぁ」と感心するも、現在のわれわれも違う形の「根気仕事」を、せっせとこなしていることに気付かされます。
  各工程でさまざまな技術向上の恩恵を受けますが、それぞれ時代の条件下でよりいいものを作ろうとする「熱意」が、歴史となりつつあるのかと、納得するところです……