2014/12/29

縁切り願望は世の常?──旧板橋宿

【東京都】──「石神井川を歩く_おまけ」
2014.12.29にアップしました。

 右は、株価チャートというよりは、乱雑な本棚のようですが、これは「縁切り榎」への願いが込められた絵馬。
 普通は願いを書いた面を表に結びますが、ここでは過去を見られたくないためか? ご丁寧に内容を解説するページがあるように、近所の人がしっかり目を通してから「表にしない方がいいわよ」と、世話しているようにも……(この手の話し好きは多そうです)
 女性からの縁切りが認められない不幸な時代の駆込み寺は分かるも、現在もこれだけ並ぶのは、悪いのは男で、社会のせいとしても、女は悪くないのか? とも……

2014/12/22

縁起は担ぐもの!──中板橋〜王子

【東京都】──「石神井川を歩く_7」
2014.12.22にアップしました。

 王子駅近くの王子神社で熊手市に遭遇します。
 東京近郊では11月の酉の日に、縁起物の熊手を売る「酉の市」が賑わいますが、ここでは新年に向けての「福をかきこむ納め市」として、毎年12月6日に市が立ちます。
 鎮守様の身近な季節感が地域に根付いたのは、小さな買い物でも「シャン シャン シャン!」をしてくれ、明るい気持ちで新年を迎えられる「心地よさ」にあるのでは?
 そんな光景に、下町衆の「神輿は担げなくても、縁起なら担げるだろ!」なんてフレーズが、よみがえってきます。
 自身を景気付ける「ノリ(?)」のようなものが、年々失われているような……

2014/12/15

ありのままの美しさ──豊島園〜中板橋

【東京都】──「石神井川を歩く_6」
2014.12.15にアップしました。

 右の光景を目にした瞬間、声を上げてしまった!
 イチョウの落ち葉が雪のように積もる上にもみじが赤味を添える、ありのままの姿を放置(?)するのは、寺の方針や住職の趣味にほかならず(ものぐさ坊主ではない)、素晴らしい感性とシビレます。
 京都だと踏み荒らされそうですが、住宅街にあるも周辺住民は関心無いらしく、訪問者が少ないおかげとも。
 真言宗の立派なお寺は、いまも「弘法大師霊場」の空気感を保ち、異空間を体感させてくれます……

2014/12/08

目は力なり──石神井公園〜豊島園

【東京都】──「石神井川を歩く_5」
2014.12.8にアップしました。

 寺院山門の両脇に立つ神々の像は、災いの侵入を防ぐ役目を担います。右は長命寺(ちょうめいじ)南大門に立つ「多聞天」で、力強い線による造形は、その眼力で参拝者も立ち止まらせるような威厳があります。
 人は対面した相手の目を見る習性があるため、木造でも人の形をしていれば目を見てしまいます。と言うことは、このにらみを利かせた目は、災いを持ち込もうとする人に向けられるのでは……

2014/12/01

カワセミを身近で!──石神井公園

【東京都】──「石神井川を歩く_4」
2014.12.1にアップしました。

 右の写真ならカワセミと分かりますよね?
 止まり木は、散策路からほどよい距離に設置した人工施設のようで、普通はこんなサイズで撮れる距離にいませんし(拡大せずトリミングだけ)、バックも緑でGoo!
 人目も気にせず、まさかの水中ダイブも披露してくれますから、「カワセミショー」の舞台を気に入ったようです。
 清流に棲み「青い宝石」とされる鳥が、身近な池で活動するようになったのは、舞台装置や環境改善とは別の要因があるように思います……

2014/11/24

地元の鎮守様に参る「七五三」──田無

【東京都】──「石神井川を歩く_3」
2014.11.24にアップしました。

 うっすら化粧してもらい、着飾った姿で千歳飴を手にし、七五三の祈祷を待っています。
 地元の鎮守様で七五三を祝うことは、その地で育った子どもたちの地域への愛着を高めそうですし、今後の成長を見守って欲しいとの祈りが、この国の各地域を支えてきた原動力と言えそうです。
 子どもが主役ながら親の行事なので、幼少期の記憶に自信は無いが、千歳飴をなめた記憶があればいいようです。
 親となり子どもがこの年齢まで無事育ったことに感謝し、通過点に改めて気を引き締めようと祈る気持ちは、千歳飴の記憶から自然と生まれてくるのかも知れません……

2014/11/17

雨水を集める小川──田無〜武蔵関

【東京都】──「石神井川を歩く_2」
2014.11.17にアップしました。

 石神井川の源泉は流量も少なく浸食する力も弱いため、上流域はなだらかな傾斜地ですが、現在では住宅がビッシリ並ぶため、雨水は地中に浸透せず川に流れ込みそうです。
 流れの少ない川の流路は狭いため、所々に防災用の広大な調整池(洪水防止用の池。平時はグラウンドとして利用)があり、この日はサッカー大会が開かれていました。
 右は説明しなくても伝わりますよね。中央のコーチが、へこんでいる右のガキを励ましている様子です。
 このフォローが、将来のスター選手(?)を育てるのでしょう……

2014/11/10

「どんぐりがいっぱい!」──小金井公園

【東京都】──「石神井川を歩く_1」
2014.11.10にアップしました。

 隅田川散策を終え、今回から支流の石神井川を歩きます。
 あまり「隅田川水系」と耳にしませんが、支流である石神井川・神田川・日本橋川付近を歩けば、23区の北・東部(荒川までの間は終了)を網羅できる? という企画です。
 都市部の河川に見所は少なさそうでも、「水の道」を切り口として川沿い周辺を歩こうと考えています。
 石神井川は小平市の小金井カントリー倶楽部を源流とする河川で、市街地をぬうようにして北区王子駅の先で隅田川に合流します。
 ゴルフ場には入れないので、隣接する小金井公園からのスタートです……

2014/11/03

大丈夫?──Yokohama Triennale 2014

【神奈川県】
2014.11.3にアップしました。

 トリエンナーレとはイタリア語で「3年に一度」の意味で、ここでは3年に一度開かれる国際美術展覧会の意。
 第5回展となるヨコハマトリエンナーレ(わたしは3回目)の会場は「横浜美術館」「新港ピア」のみで、大掛かりな作品も少なく規模縮小の印象を受けます。
 一般的な現代アート展に比べると「何で?」と思うほどの入場者で盛況に見えるが、規模が大きく運営費もかさむためか、第2回展は資金難から1年遅れの開催という経緯を持ちます。
 誰でも目に出来る作品が減れば、子供たちの「これなぁ〜に?」と接する機会も失われるので、縮小もこの辺りが限度ではないかと……

2014/10/27

これが21世紀の高さ!──東京スカイツリー

【東京都】──「隅田川を歩く_おまけ」
2014.10.27にアップしました。

 天望回廊(450m)から降りてきた目には、東京タワーのてっぺん(333m)より高い天望デッキ(350m)でも、「上とは景色が違う!」と少し強気にふるまえたりします。
 このフロアの混雑状況(まま人が多い程度の印象)から、ここで満足して帰る方が圧倒的に多そうに見えます。
 せっかく来たのなら、プラス100mでガラッと印象が変わる最上階の「21世紀の高さ」を実感すべきです!
 耳にしたツアーガイドさんの「時間に余裕があるので上まで行けそうですよ!」にも、勧めたい心情が感じられました……

2014/10/20

下町色は失われない──隅田川テラス_3

【東京都】──「隅田川を歩く_30」
2014.10.20にアップしました。

 隅田川河口付近で工事中の新橋が中央にアーチ持つのは、背後にある勝鬨橋が両脇にアーチを持つ姿への配慮で、河口側からの波が重なるような姿はエレガントです。
 橋を渡る道路の先、豊洲〜有明にも橋桁の低い橋が架けられており、陸地側への大型船航行の門が閉ざされました。
 それは、勝鬨橋はもう開かないことのアピールで、今後は工場ではなく商業・宅地利用を進める宣言となります。
 また、勝鬨橋が隅田川第1橋梁(最も河口側)の座を追われたことで、「かちどき:日露戦争勝利の雄叫び」も封印されます……

2014/10/13

夢の堤防緑地化を!──隅田川テラス_2

【東京都】──「隅田川を歩く_29」
2014.10.13にアップしました。

 西岸(浅草側)テラス壁面に続くモダンな装飾は、外国人旅行者を意識したのか、われわれも「ここ隅田川?」と驚かされます。
 自分も「バカ言うなよ!」の口でしたが、「隅田川散策はデートに使える!」現状まで努力された方々は、おそらく「してやったり!」の表情ではないか?
 付近の現実的な整備方針は理解できますが、上流同様のスーパー堤防化を理想像として、夢物語(堤防の緑地化)をめざしてもらいたい……


2014/10/06

庶民の文化を守る覚悟──隅田川テラス_1

【東京都】──「隅田川を歩く_28」
2014.10.6にアップしました。

 隅田公園にある「パラボラ型の花壇」は、アート環境プロジェクト作品「グリーンプラネット」で、穴から周囲の花とスカイツリーをのぞく趣向とされ、ちょうど外国人観光客が首を出してくれました。
 犬が逆さのメガホンを被るような姿(体の塗り薬等をなめさせないためのエリザベスカラー)は滑稽でも、表情には「Happy!」さが見て取れます。
 もしエリザベスカラーを被る人を見かけたら、浮気防止用「わたしだけを見なさい」に違いなく、グチくらいは聞いてあげましょう……(冗談!)

2014/09/29

祭りばやしが聞こえる──本所

【東京都】──「隅田川を歩く_27」
2014.9.29にアップしました。

 本所周辺には牛島神社例祭の祭りばやしが、四方から響きます。
 例祭前日は各町会ごとの「子ども神輿」が練り歩き、区割りを知らない訪問者は別方向からの囃子に、違う町会に入ったと気付きます。
 本祭から身を引いたご隠居が子ども神輿をサポートする様は、引退後も騒ぐ血を発散する姿と見て取れます。
 口だけは元気なじいさんは、やかましくも面倒見はいいので、そんなコミュニケーションが子供たちに地元への思いを根付かせます。
 いまどきの親は依頼されるのか、金魚のフンのようについて回るが、昔は一人で参加して知らないじいさんに説教され、「外の社会」を実感した記憶があります……

2014/09/22

エ〜ッ、錦糸町!?──変われない町

【東京都】──「隅田川を歩く_26」
2014.9.22にアップしました。

 以前、新婚女性の新居が「錦糸町」と聞き、周囲の連中と声を揃え「エッ、きんしちょう〜!?」とハモったことを思い出します。
 それは、東京周辺で暮らす人々の共通認識のようです。
 両隣の両国・亀戸に無く錦糸町にあるのが「WINS:場外勝馬投票券発売所」で、その存在が「町のイメージを左右する」との認識も確かと思います。
 「楽天地」は阪急・東宝設立者の手によるもので、現在も都内ではここだけとされる「河内音頭祭り」を根付かせる連中(興行にヤクザは付きもの)を引き連れてきたのではないか?
 東京都による「錦糸町・亀戸副都心」の指定は、暴力団排除が主目的だったとしても、現在も何ら印象は変わりません……

2014/09/15

カメにも「翼をください!」──亀戸

【東京都】──「隅田川を歩く_25」
2014.9.15にアップしました。

 右は亀戸駅前の噴水で、地域の人々が羽ばたく夢をカメに託します。左奥の文化センターは「カメリア」とされるなど、困ったときは「亀だのみ」という土地柄のようです。
 この「HANEKAME」像製作の際、「ガメラ」に向かわなかったのは賢明ですし、ペガサスのようなビジュアルにならないことを踏まえて取り組んだのですから、その姿勢に敬意を抱きます。
 その心は、以前亀戸天神裏に広がった遊郭や赤線イメージの一掃ではなく、現在も根城が多数ある暴力団追放アピールのようで、非合法組織の追放には市民運動が欠かせない、とのメッセージに受け止められます……

2014/09/08

別世界にトリップさせてくれる──水元公園

【東京都】──「隅田川を歩く_24」
2014.9.8にアップしました。

 右写真の当人に意識はないと思うので、「おじいさんはカエルになってしまいました」という童話の世界のような、魅力的な絵の主人公であることを伝えたい! 
 傘の印象から、ここには「大人向けのトトロ」が出没しそうと、思い浮かんだ「着ぐるみ姿のタケちゃん」は、映画『菊次郎の夏』の大きな葉のイメージによるようです。
 帽子、葉、傘の異なるサイズ感と、その丸い姿が落ち着きを感じさせてくれます……

2014/09/01

いまも寅さんの帰りを待つ──柴又

【東京都】──「隅田川を歩く_23」
2014.9.1にアップしました。

 柴又駅に降り立つと心がゆるみ、寅さんの「おぅ、帰ったぞ!」のように、われわれも「元気でやってるか、労働者諸君!」と声をかけたい気分に誘われ、テンションが上がってきます。
 帰りの電車には「ちょっと、行ってくらぁ」と言いたくなるように、柴又散策はまるで映画に入り込んでいた時間のようです。
 帰る場所があるから「風の吹くまま 気の向くまま」では単なる勝手ですが、われわれもフラッと「帰ったぞ!」の気分で立ち寄ってもいい場所ではないかと……
 右は、いまもリリーが寅さんの帰りを待つような絵。

2014/08/25

自力で「水を切る」快感──旧中川

【東京都】──「隅田川を歩く_22」
2014.8.25にアップしました。

 海水面より水位の低い旧中川の、木下川(きねがわ)水門〜荒川ロックゲート間は締め切られた運河で船の往来も限られるため、付近ではボート教室や東墨田レガッタなどが開催されます。
 右は橋の下を艇庫とした施設で、ボートの船底は白くコーティングされており、鏡面のように光を反射する様に驚きます。
 この艇は4人乗りの各人オール2本用ですが、4人乗りでも『がんばっていきまっしょい』の映画版は1本、テレビ版は2本など、競技の種類は多いようです。
 キツそうですが、自力で「水を切る」感覚が得られるのは、手漕ぎボートだけかも知れません……

2014/08/18

窓辺にもれるお姉さんのため息──旧玉の井

【東京都】──「隅田川を歩く_21」
2014.8.18にアップしました。

 俗称の「玉の井」は私娼街でしたが、永井荷風の小説『濹東綺譚』、滝田ゆうの漫画『寺島町奇譚』の舞台は戦前の地域らしく、すべて空襲で焼けました。
 滝田さんの漫画で印象に残るのは、窓辺に腰掛けたお姉さんがため息をつく情景です(犬がいましたよね?)。
 事情を理解しながらも、若い男が勢いにまかせるような熱情で接してしまうのは、その手の女性と身近すぎるからで、諭されながらもお姉さんのうれしそうな表情を見たいゆえ、苦悩が生じたのでしょう……

2014/08/11

海抜「0.3m」という現実──向島

【東京都】──「隅田川を歩く_20」
2014.8.11にアップしました。

 付近の海抜表示は「0.3m」とあり、運河に近い田町駅付近の4m程度に比べ、かなり低いことに驚きます。
 現在の河口から距離があり「上流」の認識があるも、隅田川は港湾の「運河」と考えた方がいいようです。
 地盤沈下も加わり、自力での生活が不可能な地域であるも、スカイツリーは地中深く基盤まで杭を打ち込むため、沈下の際には「浮き上がる」と申しております……

2014/08/04

大人の世界「観音うら」──浅草花街

【東京都】──「隅田川を歩く_19」
2014.8.4にアップしました。

 隅田川といえば浅草ですが、見聞があるのは浅草寺までで、「観音うら」とされる大人の世界に初めて足を踏み入れたものの、オヤジになっても昼間限定です……
 「花街:かがい」とは、芸者を呼んで楽しめる、置屋、待合、料亭の三業種の営業が認められた地域で、三業組合事務所である「浅草見番」が浅草寺北側にあります。
 都合のいい表現と思うも、芸者遊びこそ歴史に磨かれてきた日本の「お・も・て・な・し」なんですって……(写真は浅草寺)

2014/07/28

都営住宅が地域住民の砦──鐘ヶ淵〜白髭橋

【東京都】──「隅田川を歩く_18」
2014.7.28にアップしました。

 ネットの世界で耳にするのは「ファイヤーウォール」ですが、ここには文字通り「防火壁」の役目を持つ高層住宅があります。
 防災団地とされる「都営白鬚東アパート」は、戦災を免れた木造住宅の大規模火災に備える防火壁の役割を担っており、火災時は右の鐘淵門を初め各門で緑の鋼鉄扉を閉じ、想定8万人収容可能な隅田川沿いの緑地帯で避難者を守る設計です。
 わたしでも付近には、「震災・戦災の火から逃れようと隅田川に飛び込んだ」話を想起しますから、地元の方々は二度と繰り返したくない教訓とされていることでしょう……

2014/07/21

「吉原」に行ってきました……

【東京都】──「隅田川を歩く_17」
2014.7.21にアップしました。

 「男が吉原に行く理由は決まっている」地に初めて足を踏み入れ、「写真を撮ってきました」の説明は、ラブホテルに入り「何もありませんでした」の釈明のように説得力ゼロです。しかも町の様子は「帰りがけにスマホで撮ったんじゃないの?」と言われそうな1枚だけです。
 だって、昼間から店の入り口に立つ「笑顔が怖い」黒いスーツの兄ちゃんに声をかけられ、カメラを構えられる状況じゃなかったんだもん…… そんなの当たり前さぁ〜

2014/07/14

「現代のジョー」はいるのか?──旧山谷

【東京都】──「隅田川を歩く_16」
2014.7.14にアップしました。

 旧山谷地区が舞台の漫画『あしたのジョー』のテーマはハングリー精神と思うも、極端な二極化社会とされる現代に、身ひとつで底辺から上を目指す精神は生まれるだろうか? そんな状況だからこそヒーローの誕生を応援したくなるのです(わたしは、○村田諒太、×亀田一家です)。
 テレビ版は見ておらず、印象にあるのはキャラクター(力石徹、カルロス、小さな女の子)だけで、右のお嬢さんとの関係は覚えてないが、このツーショットはとてもいい雰囲気です……

2014/07/07

モヤモヤし続け数十年……──綾瀬

【東京都】──「隅田川を歩く_15」
2014.7.7にアップしました。

 近ごろ首都圏の私鉄各線では、地下鉄および反対側路線との相互乗り入れを戦略としますが、東急東横線〜地下鉄副都心線の乗り入れでは、JR渋谷駅の乗降客数が3位から5位に下がり収入も減少の発表に、その威力を思い知らされます。
 便利・不便は人それぞれでも、神奈川県育ちには見慣れた小田急線や田園都市線の車両を、北千住駅付近で目にする違和感に「アウエー」を実感します。
 小田急線〜千代田線の直通運転は1978年に始まり、見慣れない「綾瀬行き」を目にした際、おそらく神奈川県綾瀬市(交通情報で耳にする「綾瀬バス停」)との混乱から「モヤモヤ」がはじまったようです。
 そんな数十年来の「モヤモヤ」を解消しようと、足を伸ばしました……

2014/06/30

「川の手」暮らしの魅力──荒川土手

【東京都】──「隅田川を歩く_14」
2014.6.30にアップしました。

 荒川土手から北千住に戻る道すがら、おばあさんの歯切れのいい口調(耳心地よくスカッとする)や、台所で包丁がまな板を叩く音などを耳にすると、癒されるというより「とけ込みそう」で、「ただいま」と口にした途端に「川の手」暮らしが始まりそうです。
 川の流れは存在理由が明快(水が海に流れる)なので、日常生活の「意識変化」を投影しやすいように感じます。
 荒川・隅田川も持ち合わせるそんな性格は、京都の川や、四万十川と同様の「なごみ」作用があるのでは、と思ったりします……(右は「青空理髪店」営業中!)

2014/06/23

住民の愛着を感じる──北千住

【東京都】──「隅田川を歩く_13」
2014.6.23にアップしました。

 北千住に降り立つのは初めてで、メジャーな印象から大々的な再開発が進んでいると思いきや、下町の空気が漂う繁華街では、気取らない若者や若ぶるオヤジたちの活気が町をもり立てています。
 下町育ちが中央線沿線のように「モダンさ」を取り入れている、で伝わるだろうか? 住民が町に愛着を抱いている印象に、ちょっとファンになっちゃいました。
 訪問者は右を「敷石が真っすぐじゃない」と感じるも、下町育ちは「どこが曲がってるんだ?」と反論しそうです。
 彼らは「曲がったことが嫌い」でなく、曲線を描けないだけで(怒られそう)、「角度の違う直線が続く」なんて言われたら、ごもっともと引き下がるしかありません……

2014/06/16

旧街道が住民のより所──千住大橋

【東京都】──「隅田川を歩く_12」
2014.6.16にアップしました。

 千住大橋を渡り北千住に入るも、中心部ではないためか緑を多く目にします。
 旧日光街道沿いに寺社が多いこともありますが、現在でも「旧街道ありき」と、街道を中心とした町づくりを受け継ぐ姿勢に拍手を送りたくなります。それは裏通りも同様で、「町の形」を継承しようとする取り組みのようにも感じられます。
 お年寄りが暮らしやすい町に必須の介護施設も狭い裏路地にあり、右の「散歩がてら」気軽に立ち寄れそうな立地には、さすが下町の配慮! と、勉強させられます……

2014/06/09

のびのび「リバーサイド」──旧汐入地区

【東京都】──「隅田川を歩く_11」
2014.6.9にアップしました。

 知名度で北千住に水をあけられた南千住の旧汐入地区には、貨物駅や地下鉄車両基地に加え、広大な工場が広がっていましたが、工場移転後の再開発により、高層マンション群や公園が整備され、現在は若いファミリーが集まる地域となります。
 アクセスは山手線日暮里駅から常磐線で2駅と文句無く、隅田川リバーサイドの立地による空も広い場所柄は、人気が高いようです……

2014/06/02

前途三千里のおもひ……──南千住

【東京都】──「隅田川を歩く_10」
2014.6.2にアップしました。

 松尾芭蕉『奥の細道』の「矢立ての初め:旅日記の書きはじめ」に「千じゆ」の名が登場することから、旅立ちの地とされます。
 江戸時代「大江戸八百八町」の外れとされ、奥州・日光・水戸道が分岐する最初の宿場「千住宿」で、江戸を離れる寂しさを感じたのでしょう。
 そこに記された「前途三千里のおもひ胸にふさがりて…」は、「母をたずねて…」など「果てしない旅」のルーツ? と調べると、中国の唐時代には「三千里流罪の刑」があったことから、「今生の別れ」との覚悟が込められていたようです……

2014/05/26

下町になじむアジアの庶民──三河島

【東京都】──「隅田川を歩く_9」
2014.5.26にアップしました。

 駅前の商店街で、韓国語が当たり前のように飛び交う様子には戸惑いますが、近所の方と日本語で世間話する姿には、確固たるアイデンティティを盾に異国で生きるたくましさがあふれています。
 明治期周辺にあった屠殺場から出回る豚の耳、しっぽ、内臓等は、当時の日本人に食習慣がなく、韓国出身者が食材に利用したのが、近隣韓国料理店のルーツとのこと。
 地域にはインターナショナルな「つて」で、アジアからの流入者が集まるらしく、フィリピンの言葉(?)を耳にしたり、右は竜の絵から中国系に見えますし、一帯はアジア系庶民の巣窟となっているのかも知れません……

2014/05/19

ポールがやって来たジェ!ジェ!ジェ!

【東京都】──PAUL McCARTNEY 〝OUT THERE JAPAN TOUR 2014〟中止
2014.5.19にアップしました。

 ニュースでも報じられるように、5月17・18日(17日の振替19日)の公演はポール体調不良のため中止となりました。
 昨年公演でのチケット争奪戦に敗れ、再戦でリベンジがかなうと思ったものの、直前に落とし穴があるとは……
 観客側も年齢(71歳)のリスクはさておき、本人の再来日への意欲を「ポールのラストライブ?」と楽しみにしていました。
 きっと改めて来日してくれると期待していますが、その際はまた一から出直しです。主催者側は保険を掛けていても、観客側には何の保証も無いことを、ゲート前に立たされ同じ文面を繰り返す職員に謝られても何の慰めにもなりません……

2014/05/12

Old Friendsの遊び場──三ノ輪橋

【東京都】──「隅田川を歩く_8」
2014.5.12にアップしました。

 遠目からは、わけの分からない点描画のように見えるところが好きで、サイモン&ガーファンクルの「Old Friends」を想起しますが、ちと世界が違うようです。
 腕自慢できなくても、思わず声を上げるギャラリーとのコミュニケーションは楽しげで、見学者も「次はオレ!」と意気込んでいます。
 「将棋は記憶勝負」や「脳の活動がもっともエネルギーを消費する」からすると、じいさんたちはじっとして熟考するだけで腹を減らすことでしょう。
 年を取ると、ボケ防止と運動不足解消のバランスを保つのは難しそうです……

2014/05/06

たばこ屋脇の路地裏には……──町屋

【東京都】──「隅田川を歩く_7」
2014.5.6にアップしました。

 たばこ屋脇の路地奧には別世界が広がっていた…… そんな町並みにも路地をふさいでしまう再開発で、行き止まりとされる場所をいくつも見かけます。
 私道である抜け道が突然通行止めにされても文句も言えないが、網目状に分布する路地は無計画なため、一箇所ふさがれるだけで仰天するほどの不便が生じたりします。
 再開発が目指すのは合理的な「今風の町並み」で、混沌とされる「古い町並み」との共存は困難ですから、押し寄せる時代の波に耐えるばかりの「風前の灯」と言えそうです……

2014/04/28

隅田川の夢──東尾久

【東京都】──「隅田川を歩く_6」
2014.4.28にアップしました。

 「悲しい色」をした隅田川流域にもこんな場所があるとは驚きました。ここは工場跡地(ADEKA:旧 旭電化工業)を整備した尾久の原公園に面した堤防です。
 現在は、東京都が自由に使える区画に「理想的な隅田川の姿」を描いただけですが、こんな堤防が連なり水質が改善されれば、庶民が弁当を広げる「江戸時代のような光景」がよみがえるかも知れません。
 非常にハードルが高い「夢物語」でも、これを希望と受け止めたいところです……

2014/04/21

採算より安全優先──日暮里・舎人ライナー

【東京都】──「隅田川を歩く_5」
2014.4.21にアップしました。

 寺社の参道にあるせんべい屋では、商品ケースが古く個性的なものほど「味がしみてそう」と感じたりします。
 上得意である年配者の、考えなしに「せんべいで十分」と手みやげにする習慣は、「またせんべいをもらった」と自分に返ってくる繰り返しを生むようです(好きならいいが)。
 また「せんべいぐらい持って行こう」と、手みやげの代名詞に使う人も多いようで、「みやげ」の表現ではかしこまってしまうも、「せんべい」は気取らない心付けの表現とするところに、江戸期の感覚が息づく様を感じます……

2014/04/14

水辺の景勝地とされた──王子

【東京都】──「隅田川を歩く_4」
2014.4.14にアップしました。

 武蔵野台地の水を集めた石神井川が、台地のふちを浸食しながら隅田川へと下る道筋に生まれた「王子七滝」は、江戸時代には浮世絵とされる景勝地でしたが、現存するのは地下水を水源とする名主の滝だけとなります。
 おそらく等々力渓谷のような景観だったでしょうが、洪水対策として飛鳥山の下にバイパスを通したように、右橋下の音無川親水公園は、防災対策万全で野趣のない公園として整備されました……

2014/04/07

旬に敏感な国民性──荒川線沿線

【東京都】──「隅田川を歩く_3」
2014.4.7にアップしました。

 花もほころぶ陽気に誘われ、もぞもぞと表に出てくる虫のようだと実感する「春」の到来です!
 農耕民族の遺伝子に組み込まれたような「花見」の季節感は、自然に従い歩む民族の証ですから、一体感を楽しむべきなのでしょう。
 短い「旬」を敏感にとらえる感度は素晴らしいのですが、「身をゆだねてしまう」スキだらけの姿は、四季の暮らしの中で最も無防備に映る瞬間ではあるまいか?(それでいいんです!)
 親たちの高揚感を察知する子供たちは、はしゃぎ、ねだりますが、「モノ」ではないことに気付いて初めて、この「春の儀式」の意味を理解していくのでしょう……

2014/03/31

川に挟まれて大丈夫?──ハートアイランド

【東京都】──「隅田川を歩く_2」
2014.3.31にアップしました。

 右写真は何か加工した? と思ってくれたら報われるような、めちゃくちゃ強い北風が吹き荒れ、京葉線などは当然運転を見合わせた「春分の日」の様子です。
 堤防の上で受ける突風でも、向かい風には踏ん張れるのですが(反骨精神は大丈夫)、斜め後ろからの追い立てられるような風(下からの突き上げ?)には浮き足立ってしゃがみそうになり、「踏ん張りが利かなくなった?」と自信が揺らぐ事態に……

2014/03/24

春は隅田川?──岩淵水門周辺

【東京都】──「隅田川を歩く_1」
2014.3.24にアップしました。

 春一番の嵐もやってきたので「春のうららの隅田川〜♪」っと、今回から隅田川沿いの下町を歩きながら、ぼちぼちスカイツリーでもと考えています。
 隅田川の名は元々入間川(荒川支流)下流の俗称でしたが、荒川本流とされた時代を経て、明治末〜昭和初期に建設された荒川放水路(岩淵水門〜葛西臨海公園付近の河口まで)が荒川本流とされ、岩淵水門〜竹芝桟橋付近の河口までを正式に隅田川としたのは1965年になります……

2014/03/17

東京が祈りを捧げた夜──赤羽橋〜大門

【東京都】──「大江戸線を歩く_37」
2014.3.17にアップしました。

 東京タワーのライトアップが消された2日間(3月10日:東京大空襲から69年、3月11日:東日本大震災から3年)の、「東京が祈りを捧げる」ような姿には響くものがあり、震災後真っ暗になった町の様子がよみがえりました……
 様々な思いを胸に「あの時感じ、考えたこと」を忘れぬよう心掛けるつもりでも、現在何の備えもしていない現実にたどり着きます。
 阪神淡路大震災を受け非常持ち出し袋を準備し、東日本大震災で期限切れの保存食を処分した、では語る資格はありません。
 非常時も「できるだけ自力で」だけでなく、微力でも周囲に援助ができるような準備を目標にすべきなのでしょう……

2014/03/10

東京タワーは日本の「へそ」──赤羽橋

【東京都】──「大江戸線を歩く_36」
2014.3.10にアップしました。

 以前東京天文台が設置され海まで見渡せた丘陵地には、その記憶をとどめるかのように「日本経緯度原点」がひっそりとたたずみます。
 日本のへそとしては無防備なモニュメントのように見えますが、東日本大震災などで高さ・位置の変動を受けた際でも、ここを基準として変動前後の比較・補正が行われるため、原点にはさほど厳密さは求められません。
 映り込む絵から視線を上げ、間近の東京タワーは日本の「へそ」だったのか? と、また違う感慨で見上げることができました……

2014/03/03

麻布で一番庶民的な──麻布十番

【東京都】──「大江戸線を歩く_35」
2014.3.3にアップしました。

 麻布十番といえば、町中にある広場「パティオ十番」が印象的ですが、区画整理のつかなかった土地活用法とのこと。もうひとつの公園を含め「地域独特の流儀?」と思ったりします。
 右は、野口雨情の「赤い靴」に描かれた「岩崎きみ」ちゃん像。
 「赤い靴」と言えば横浜山下公園と思いますが、「異人さんにつれられて」(×ひいじいさん)船に乗ったと思いきや、彼女は結核で船に乗れず鳥居坂教会の孤児院「永坂孤女院」で亡くなります。
 教会はカナダ・メソジスト教会のもので、隣接する東洋英和女学院はその教育機関として設立されたもの……

2014/02/24

外国人旅行者も「危険」とされる──六本木

【東京都】──「大江戸線を歩く_34」
2014.2.24にアップしました。

 この付近で続いた大規模再開発事業には、先鞭となるアークヒルズ、六本木ヒルズ、東京ミッドタウン+国立新美術館、赤坂サカス等がありますが、それぞれものすごいパワーが要されたと思うも、人の流れを生み出す「仕掛け(戦略)」が当たった成功例とされるのでしょう。
 週末に足を運べば、普段とまるで違う客層(若年)にシフトする様子を目にし、戦略の見事さに感心させられます……(本文へ

2014/02/17

春を祝い、春を願う──青山一丁目〜六本木

【東京都】──「大江戸線を歩く_33」
2014.2.17にアップしました。

 右は乃木神社でシャッターのお返しに撮らせてもらった絵で、こちらは帯を撮りたい、顔にぼかしを入れたくないため「後ろ向いて」とお願いすると、「顔が写らな〜い」「顔はいらないのよ!」と怒られます……
 確かに後ろ向きでは、アイデンティティーである顔ではなく「お尻を撮りたいの?」と思われても仕方ありません(成人式とは違うのです!)。
 その後、このアングルから振り向いた写真を「こっちの方がイイ!」と気に入ってくれたので、許してね……

2014/02/10

盛り上がりに乗れなかった ──赤坂道草_2

【東京都】──赤坂で道草_2
2014.2.10にアップしました。

 バブル期赤坂周辺の盛り上がりは、乗れない者には場違いな雰囲気で、「沈まない太陽」に誰も疑問を感じなかった時代には、身なりを整えた「ワル:政治家に取り入ろうとする」の盛り立て役のように、一般のサラリーマンが踊っていました。
 虹色に見えても中身の無い泡の錬金術は、横井秀樹(元ホテルニュージャパン オーナー)を初め、私腹を肥やそうとする連中が「ブクブク」と息を吹き込み、世間が泡で飽和状態になった瞬間、破裂の連鎖が始まりました……
 付近を自主的に歩くのは初めてと思いますが、今回の訪問でも印象は変わらないので、「魅力を感じない町」のままという気がします……(右は上智大学)

2014/02/03

せせこましい中心地──赤坂道草_1

【東京都】──赤坂で道草_1
2014.2.3にアップしました。

 昨年赤坂プリンスホテルは、徐々にビルが低くなる解体法で注目されながら姿を消し、都の有形文化財である旧館がジワジワと移動する様子を目にしました(右写真手前は赤坂見附跡、奧が旧館)。
 旧館の建物は工事後も保存される計画のため、現在も台座に置かれた状態です。
 バブル期に「高級感ムード」を盛り上げ、デートスポットのトレンドを演出したように、解体の際も「最新技術」をアピールする姿勢からは、今後の建設時にも何かサプライズがあるのか? と思ったりします。
 建物はあっさりと消えてしまうのに、はじけてしまった思い出はよみがえってきます……

2014/01/27

再立ち退きが迫る──国立競技場前〜青山一丁目

【東京都】──「大江戸線を歩く_32」
2014.1.27にアップしました。

 明治神宮野球場は「神宮外苑にある野球場」ではなく、明治神宮が所有する野球場(1925年建設)になります。以前は神聖な場所とされ、アメリカのチームを招いた試合が元で傷害事件が発生したそうで、傘を振り回すなんてもってのほか! だったようです。
 国立競技場の再開発地区から外れるも、2021年には神宮外苑再開発計画があるらしく、それまでは部分補修(この日も工事中)をしながら維持されるようです。
 現在では器の小さい球場とされますが、どっしりとした存在感は、フィールド・オブ・ドリームスをイメージするにふさわしい印象があります……

2014/01/20

真冬の華──代々木〜国立競技場前

【東京都】──「大江戸線を歩く_31」
2014.1.20にアップしました。

 昨年末中学の同級生たちに会った際、子どもの成人・就職の話しに接し、父親の立場について「なるほど」と感じさせられました。
 この春「ジイジ」になるヤツに驚くも、親子で「早婚(イケイケ!)」の選択も楽しそうに思えましたし、年齢なりに「人生いろいろ」に接しますが、年初に明るい話題に触れられ感謝です。
 成人式は笑顔と会釈で写真を撮らせてくれる「ハレ」の日で、母親の「注目してくれるのは、今日と結婚式だけよ」を満喫するヒロインがアピールする場であり、親には「育て上げた」感慨に浸る大きな節目となります。
 自分は学生だったせいか、自覚が足りなかった印象が残ります……