2015/12/28

空の広さも皇居の魅力

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【東京都】──「内濠を歩く_1」
2015.12.28にアップしました。

 高校生時分は映画『スター・ウォーズ』第一作(エピソード4)を、当時の日劇で観たいとミーハー的感覚で映画街に足を運びましたが近頃は機会も減り、ビル群を抜け皇居に接した際の「空が広い!」感慨も忘れていました。
 近頃ではビルが高くなった分、そのインパクトは大きくなったのではないか?
 新作『スター・ウォーズ』公開の騒ぎはどうかと思いましたが、ハリソン・フォード&ファルコン号をチラつかせる宣伝には、第一作のワクワク感がよみがえってきます……

2015/12/21

潮が香る町名──日本橋○○町

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【東京都】──「日本橋川を歩く_5」
2015.12.21にアップしました。

 小網神社の「どぶろく祭り:新嘗祭」で「ススキミミズク」(有料)が配られる慣習は、川向こう「茅場」町が一面の葦原だった時分から続くのではないか。
 右は同神社の、まゆにおみくじを入れた「まゆ玉おみくじ」で、そんな使い方は「おカイコ様に申し訳ない」ように思うが、一本の糸で紡がれたまゆのように「縁が一本の糸で結ばれますように」と願うものらしく、その説得力に女性が引き寄せられています……

2015/12/14

西洋化の実験場──兜町

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【東京都】──「日本橋川を歩く_4」
2015.12.14にアップしました。

 明治維新当時の周辺は「西洋化の実験場」のようで、競って西洋風の建築物を造りましたが、関東大震災の被害を受けたことで、耐震性を意識した「日本向け西洋建造物」が生み出され現代に至ります。
 銀行:第一国立銀行、郵便局:日本橋郵便局、百貨店:三越など「日本で初めて」とされる施設が、五街道起点の陸路や、当時日本橋にあった魚河岸への水路が開けた、流通の中心地で始まったのは当然と言えそうです。
 付近に通された日本初の私鉄「馬車鉄道」は、路面電車〜東京市電(後の都電)となります……

2015/12/07

日本の中心を歩く──日本橋

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【東京都】──「日本橋川を歩く_3」
2015.12.7にアップしました。

 右は日本銀行の紋章で、6個の千両箱の上に立つライオンが、両側から「日」の図案を支えます。
 建物の設計者 辰野金吾(東京駅も設計)が、イギリスの国章など、ライオンをあしらう欧州の紋章にならったものらしいが、日本と関わりのない動物ですから、それこそ「欧米か!」です。
 当時日本であまり知られない動物を用いることで、「開国の世」をアピールし、視線を世界に向けさせる狙いがあったのか?
 「聖徳太子像の5千円札」の絵柄として馴染みのある世代は、ガキでも「百獣の王」の認識を持っていましたから、「強さ」の象徴程度には感じていたのだと思います……

2015/11/30

大手町で振り返る夢

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【東京都】──「日本橋川を歩く_2」
2015.11.30にアップしました。

 気象庁内の「気象科学館」に向かう道すがら、いまも抱く「自然現象観測」への関心は、小学時代の天体観測に始まり、新田次郎さんの小説により肉付けされたのであろうと、10代のあこがれがよみがえります。
 夢の実現はもう無理ですが、アンテナを張り続けていれば知識や視野は広まるもので、自分なりの満足感は得られると納得できましたし、今回の訪問でいい夢を見ていたことを、再確認しました……

2015/11/23

自由な空気感が心地いい──神保町

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【東京都】──「日本橋川を歩く_1」
2015.11.23にアップしました。

 神保町の中心を東西に分断する靖国通りには、「文化の境界線」とも言えるギャップが横たわります。
 南側の古書店街に対し、北側の裏道は歓楽街的な町並みで、気軽に入れそうな雰囲気だけに、大学街から本を探しに来た学生を手前で誘い込もうとする関門にも見えます。そんな立地から「人生劇場:パチンコ屋は健在」なのかとも(左奥ピンクの看板)。
 ですが、付近の気取らない店に集まるオヤジの様は、希少本に限らず「中古で十分」と古本を物色する精神に通じるようにも……

2015/11/16

お堀を活用する──市ヶ谷〜飯田橋

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【東京都】──「神田川を歩く_外濠2」
2015.11.16にアップしました。

 以前のお堀には、市ヶ谷の釣り堀に加え、飯田橋ボート場の景色から、レクリエーション施設の印象がありましたが、現在はおしゃれな水上カフェが憩いの場となっています。
 飯田橋駅に隣接するが、人・電車・道路の騒音も、凹地のお堀では気にならないらしく、決してきれいなみなもではないが、都心に「なごみ?」をもたらしてくれるようです……

2015/11/09

江戸城へ続く分水嶺──四谷

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【東京都】──「神田川を歩く_外濠1」
2015.11.9にアップしました。

 旧玉川上水の大木戸水番所付近から四谷に向かう新宿通りは、周辺の分水嶺(尾根道)を通されます。北側の旧厚生年金会館付近の坂は早稲田方面に続く神田川水系、南の新宿御苑の斜面は渋谷川水系と知ると、ここが江戸市中への配水地にふさわしい場所であると納得できます。
 水は高所から低所に流れることは、誰もが目で見て理解できますから、「どこを通せば江戸城まで水を届けられるか?」という道筋探しは、楽しそうにも感じられます……

2015/11/02

極楽に求めるもの──極楽寺、七里ケ浜

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【神奈川県】
2015.11.2にアップしました。

 右のような駅舎で旅情にハマると、待っていた電車が到着しても、発車の光景を眺めたくなったりします。
 その後も反対の電車〜もう一本と眺めるうちに、夕刻の景色はもっといいのでは? と、きりがなくなります。
 時間のある学生時代ならいつまでも座っていられたが、「写真は撮れたから、急がねば日が暮れる」と腰が軽くなったのは、「限りある自由時間」が身にしみるオヤジの体内時計のせいだろうか……(切実な意味ではありません)

2015/10/26

気取り方も庶民的──湯島

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【東京都】──「神田川を歩く_40」
2015.10.26にアップしました。

 池之端の交差点で、着物姿をバッチリ決めたオヤジが、足早に横断歩道を渡っていったのは、ここで待ち合わせのためだったようです。
 年相応の着物柄が似合うカップルは、夫婦や不倫の間柄ではなく恋人的な? いい感じの関係に見えます。
 屋内では楽しそうにはしゃぐ二人に、何度も行く手を阻まれたので、どこかで撮ってやろうと狙っていました。
 明治期の洋館を背景にしてもはえる着物は、日本の文化として胸を張れる衣服と感じられましたし、こんな格好でデートしてみたいとも……

2015/10/19

動物も活発な季節──Ueno Zoo

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【東京都】──「神田川を歩く_39」
2015.10.19にアップしました。

 動物園をひとまわりし親がひと息つく頃合いに、「もう終わり」と感じた子どもが「帰りたくない」と粘ろうとする姿は、自分のガキ時分にも思い当たるような気がします。
 その状況で親が発する「また来よう」という空約束に即効性はあっても、親もガキ時分に経験したであろう「うそつき」という印象を、植え付けかねません。
 しか〜し、ガキってのは結構たくましく、その言葉を引き出せばそれをネタに「ねだれる」との思いから、「とりあえず引き下がるか」と、取引を画策しながら知恵を付けていくのかも知れません……

2015/10/12

上野公園でデート なう

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【東京都】──「神田川を歩く_38」
2015.10.12にアップしました。

 噴水周辺のベンチに座るアベック、女性同士、ひとりぼっちの男もスマホに夢中という姿には「そんなの家でやれよ!」ですし、噴水に歓声を上げる子どもの脇で、親が手元に夢中で大丈夫なのか?
 二人の「スマホタイム」が楽しいのは、それぞれのスマホに隠される秘密の隣から相手とつながるスリルだったりして?
 秘密を持つ人は相手にも…と、のぞきたくなる「秘密の匣」に見えたりするのでしょう。マイナンバー導入後の情報漏洩は、大迷惑でも責任を問えますが、スマホがのぞかれるのは自己責任ですし、その先には地獄が……

2015/10/05

下町ワンダーランド──谷中

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【東京都】──「神田川を歩く_37」
2015.10.5にアップしました。

 寺の墓地沿いに続く狭い路地から、心細そうな表情の外国人観光客が何組も現れます。迷い込んだのかと路地に入ると、これぞ傾斜地の生活空間という光景に出会います。
 坂道が突き当たる斜面には、近所の自治会で作ったような狭い階段があり、湧水がありそうな斜面下の井戸(右下:○○家専用とある)は現役のようです。以前付近には湧水があり、現在の路地を流れた水路沿いに人が住み着いたのではないか?
 寺の境界に続く寂しげな路地まで、海外向けのガイドブックに掲載されるとは驚きですが、Wonderlandとして楽しめる一画なのでわたしもオススメです!

2015/09/28

ジジイがカッコイイ!──根津神社例大祭

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【東京都】──「神田川を歩く_36」
2015.9.28にアップしました。

 ジジイがカッコイイ! 目指す「粋」とはこんな姿か?
 旦那衆のゆとりあるまなざしが、同伴のビシッと着物で決めたどこぞの女将(?)の心をつかむのでしょう。
 右の「祭」を背負うのが親分格で、「千駄木」を背負う左は取り巻きのように見えますが、幼なじみ的な「マブダチ」としたら、男にとって最高の仲間ではないか?
 男のかっこ良さとは、包み込むような「懐の深さ」がジワッとにじみ出す、貫禄や存在感に違いない! 
 いまからそんなジジイを目指しても、間に合いそうにありません……

2015/09/21

ペンの力は何処に?──旧藍染川

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【東京都】──「神田川を歩く_35」
2015.9.21にアップしました。

 東京大学合格者数 34年連続首位(1982〜2015年)の無敵ぶりを誇る進学校「開成学園」は西日暮里にあります。
 2014年度の合格実績は、東京大学:158名(157名進学)、慶應義塾大学:191名(50名進学)、早稲田大学:225名(33名進学)と、早慶を滑り止めにする連中が国の中枢省庁に入るようです。
 校章は「ペンは剣に優れり」を示すが、近ごろ「武力には、武力の圧力を」が世界の潮流らしく、ペンの存在感は薄まるばかりです。
 現在幹部の卒業生に失望するわれらは現役の生徒に、政治家の暴挙に「ペンの力」で立ち向かって欲しいと願っても、ペンの力など通じない世界と知った瞬間から、保身的行動に向かってしまうのだろうか……

2015/09/14

人のふり見て我がふり直せ──旧谷田川

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【東京都】──「神田川を歩く_34」
2015.9.14にアップしました。

 遠いので詳しく分かりませんが、右は近所のばあちゃんに何かを説明する姿に見えます。
 下町っ子の心情には「おせっかい=思いやり」の勝手な思い込みがあるようですが、受け手側の気遣いも含めて「下町人情」と言うのでは? と感じた光景です。
 おばちゃんの説明は延々と続くので、ばあちゃんは、ありがたいけど「もう少しゆっくり話してくれ…」の様子に見えたのは、自分も母親に説明する際、反応の鈍さにイラついて矢継ぎ早に話してしまうことを思い出したからです。
 人のふり見て我がふり直せと、反省です……

2015/09/07

人が流れ込む旧川筋──旧石神井川

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【東京都】──「神田川を歩く_33」
2015.9.7にアップしました。

 旧谷田川が暗きょ化されると、周辺に店舗が集まり始め「霜降銀座商店街」が誕生します。
 町は水辺に栄えますし、水路を新たな道路に利用できるのは便利ですから、旧川筋に人が流れ込むようになります。
 流れ込む水のごとく様々な人を受け止めるための工夫に加え、若者にアピールする飲食店も目に付きますから、「地元で事足りる」下町商店街ここにあり! の印象です……

2015/08/31

これが日本のおもてなし──白山付近

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【東京都】──「神田川を歩く_32」
2015.8.31にアップしました。

 庭木職人さんの手元を見ていると、何と、松葉を一本ずつ間引いているらしい。なるほど、これまで庭園の庭木に感じた細やかさは、「そこまで神経を使うの!?」という職人さんの地道な手入れに支えられていたようです。
 この姿に接し、「日本のおもてなし」を支える裏方仕事を味わうには、受ける側にも観察眼が要求される奥深さがあること、実感しました。
 継承と工夫で観る者を楽しませる姿の、何という美しさ!

2015/08/24

行楽地だった川の記憶──旧谷端川-2

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【東京都】──「神田川を歩く_31」
2015.8.24にアップしました。

 大塚には三業地(料理屋・置屋・待合が営業)があり、マイナーながらも花街(かがい)の顔を持ちます。
 1919年に始まり、最盛期には芸者も150名を数え、F1ドライバーのミハエル・シューマッハも訪れたそう。
 山手線内側の旧谷端川沿いに広がり、現在も営業中と思われる料亭がありますが、掲示される「大塚芸者」の新聞切り抜きは日付が古く、「大塚三業組合」ホームページもアクセス不可なので、現在の営業については確認が取れません。
 川沿いに遊興地が開けたのは、川が行楽地とされた時代背景によるのでしょう……

2015/08/17

川辺に駅を誘致した──旧谷端川-1

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【東京都】──「神田川を歩く_30」
2015.8.17にアップしました。

 以前、山手線大塚駅に地下鉄建設が計画されるも、旧谷端川に面するため困難とされたそうですが、現在の鉄道路線が旧谷端川と交差する付近には、どこも駅が存在します。
 都市化により川は姿を消しても、町が水辺に発展した痕跡は駅という姿で残されます。
 そして、町をつなぐ役割は鉄道に引き継がれています……

2015/08/10

「闇市の本場」池袋──旧水窪川

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【東京都】──「神田川を歩く_29」
2015.8.10にアップしました。

 池袋から少し離れた自衛隊朝霞駐屯地には終戦まで陸軍施設があり、米軍接収後「キャンプ・ドレイク」とされ、朝鮮戦争・ベトナム戦争の後方支援基地となります。
 基地からの流出品が集まる池袋では闇取り引きが横行し、当時「闇市の本場」と表現される地域だったようです。
 巣鴨プリズン(戦争犯罪人の収容施設)は、接収前+返還後も東京拘置所とされたため、地域にとってサンシャインシティの再開発(1978年)は、まさに日が昇るような希望の光だったのではないか……

2015/08/03

旧川筋に続く営み──旧弦巻川

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【東京都】──「神田川を歩く_28」
2015.8.3にアップしました。

 池袋ウエストゲートパーク(西口公園)では「東京フラフェスタ in 池袋」が開催されています。
 152チーム(約4,000人)の老いも若きも(子供たちも練習する)が集結するイベントですが、ムームー(ハワイ女性のドレス)姿のおばちゃんが多く、喫煙所はスナックママの溜まり場のよう……
 われわれには「フラダンス」の表現がなじみますが、「フラ」はダンスの意味も含むハワイの宗教的総合芸術を意味します。
 こちらも宗教的行事とされるリオのカーニバルでは、サンバでパッションを爆発させますが、島国育ちとしてはフラに込められる心情に親近感を覚えます……

2015/07/27

中国人観光客にかなう者なし──秋葉原〜柳橋

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【東京都】──「神田川を歩く_27」
2015.7.27にアップしました。

 「クールジャパン」とは国内発信の仕掛けらしく、秋葉原を訪れる欧米人のサブカルチャー熱は継続しているようですが、いまや中国人観光客にかなう者なし!
 写真奥の「爆買い客」が団体で押し寄せますから、メイド娘の背筋も緊張しているように見えます。
 横付けされた観光バスのトランクに段ボールを積み込む様子を目にし、日本の経済成長期の明るい未来と夢に満ちた時代を経験したかった、と思ったりします。
 しかし、どのみち破綻するであろうChina Dreamを、少しでも持続させようと資源(国益)獲得をもくろむ身勝手な海洋進出は、周辺国に「盗人」としか映りません……

2015/07/20

東京駅が背負うもの

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【東京都】──「雨の日企画」
2015.7.20にアップしました。

 日本のセントラルステーション東京駅には様々な思いが交錯するため、駅構内は結構歩きにくかったりします。
 大きな荷物を引く人には注意を払うも、ビジネスマン姿には相手も避けるだろうと思うと、出張でとまどう人だったり……
 以前八重洲口にあった鉄道会館ビルには、代名詞の大丸東京店ではなく、不慣れな上京者を支える都道府県の出張所(アンテナショップ)が並ぶ「東京の迷子案内所」の印象が残ります。
 首都の玄関口である東京駅には外観の威厳も大切ですが、ソフト面でも多くを求められています……

2015/07/13

アーチが生かされる──旧万世橋駅

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【東京都】──「神田川を歩く_26」
2015.7.13にアップしました。

 旧交通博物館の閉鎖〜周辺の再開発に伴いレンガ造りの旧万世橋駅が整備され、2013年「マーチエキュート神田万世橋」として生まれ変わりました。
 アーチで区切られた店舗は小規模なので手作り感や身近さが伝わりますし、店舗裏の抜け道のような通路には、アメ横の下町探索のような楽しさがあります。
 旧駅舎や万世橋の雰囲気に加えて、川の護岸を手入れすれば、ここどこ? というレベルを目指せるのではないか?
 川面は海水の影響もあり難しそうですが、その整備を最終目標としましょう!

2015/07/06

水路のジャンクション──飯田橋・水道橋

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【東京都】──「神田川を歩く_25」
2015.7.6にアップしました。

 江戸開府当初は、後楽園付近にあった沼の水を上水に利用しましたが、水量の減少と質の悪化により井の頭池(善福寺川、妙正寺川)水系を水源とすべく整備を進めます。
 JR中央線水道橋〜お茶の水間南側の丘陵地に、山を開削して通された神田川の上方を神田上水が渡る、御茶ノ水の懸樋跡(かけひ:神田方面に送水する水道橋)の案内があります。
 上水は自然流下方式のため、高台から高低差を利用して送水する必要がありました。それを理にかなう事と受け止めた江戸庶民の高低差に対する感覚は、われわれよりもはるかに敏感だったのではないか、と思ったりします……

2015/06/29

教会と結婚式場の違い──目白台

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【東京都】──「神田川を歩く_24」
2015.6.29にアップしました。

 この日は日柄が悪いのか、椿山荘の結婚式は少ないようでも、「♡型」の目をした下見カップルの女性を多く見かけます。
 日本人が教会から連想するのは「結婚式場」で、求められるバージンロード(未見)、石造り的な鐘の塔と、ライスシャワーを受けるテラス(階段)を備える施設は、式場には必須です。
 右は隣接の、カトリック東京カテドラル関口教会で、宗教施設ですからスピリチュアルなデザインは当然ですが、魂が吸い取られそうな光景に、不信心者は「ステンドグラスがキレイ」で十分ではないかと思ってしまいます……

2015/06/22

素通りできない鬼子母神(きしもじん)

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【東京都】──「神田川を歩く_23」
2015.6.22にアップしました。

 普段は寺社の参道並木を、聖域に入る際のお清めと感じますが、この並木の印象は「ただいま」「久しぶり!」と知人に再会し、「変わらずで何より」とホッとする気分に似ています。
 その先は人々の暮らしに通じるので、生活感の多様さを未知との遭遇として受け止められれば、とても楽しめそうな空間に思えます。
 参道並木の大木が残され、人の落ち着ける道幅(間合い)が昔と変わらないおかげで、下町より少し距離感を保つ町並みには、人ごみとは違う「活気」が感じられます……

2015/06/15

品格を失った資産家の町──目白

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【東京都】──「神田川を歩く_22」
2015.6.15にアップしました。

 江戸時代、現在の椿山荘近くにあった新長谷寺(しんちょうこくじ)の不動明王像が、江戸五色不動のひとつ「目白不動」とされ、一帯は目白と呼ばれるようになります。
 江戸時代に大名別邸や旗本屋敷が並んだ一帯は、明治維新後に国の所有とされ、山縣有朋が購入した土地は「椿山荘」のルーツなど、華族や資産家等に売り払われます。
 旧学習院移転も元公家の院長が誘致し、戦後「学習院大学」となっても皇族が通う慣習は続きますが、以前の「資産家≒社会的責務」の精神は失われ、単なる金持ちの「資産家ヅラ」による品格の低下から、皇室の学習院離れが進んでいるのでは…… 

2015/06/08

のれんの花咲く川辺──中井〜目白

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【東京都】──「神田川を歩く_21」
2015.6.8にアップしました。

 神田川・妙正寺川流域には江戸時代からの染色技術が伝えられ、昭和30年代まで京都・金沢に並ぶ染色関連業の三大産地とされました。中井駅付近の妙正寺川沿いでは、いまも技術を受け継ぐ職人・作家たちが活動を続けています。
 その地場産業を盛り立て、 落合・中井を「染めの街」として発信する「染の小道プロジェクト」が2011年に立ち上がります。
 反物が妙正寺川を飾り、商店街店舗の軒先に「のれん」の花が咲く姿を想像すると、一度足を運ばなきゃ、と思いはじめています……

2015/06/01

鎮守の森と文化財の価値──練馬〜江古田

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【東京都】──「神田川を歩く_20」
2015.6.1にアップしました。

 絵馬奉納所に漂う「森を敬う」空気感は、古来の「八百万の神」から続く精神として、肌で感じられます。
 背後に旧国立療養所中野病院建設前は、樹木がこんもりとした丘陵地で「鎮守の森」にふさわしい環境だったようですが、現在この裏は造成され「はげ山」とされます。
 その森に育まれたであろう「江古田獅子舞(鎌倉時代から続く)」を、中野区指定無形民俗文化財に指定しながら、「鎮守の森」を「公園の森」と同様に境界線で区切る行政の姿勢は、地域文化を衰退させる危険性をはらんでいるのではないか……

2015/05/25

水場は暮らしの中心──新井薬師

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【東京都】──「神田川を歩く_19」
2015.5.25にアップしました。

 新井薬師 梅照院の新井とは、新たに掘られた井戸の意で、行列こそないがひっきりなしに水を汲む人が訪れます。
 ヤンキー系の若い兄ちゃんが水を持ち帰る姿に、「中野のおいしい水」には反抗できないのか、とも。
 水場を囲む人々の暮らしは時代を問わないと思うが、時代と共にありがたみの意味は変わりますから、水道代節約のためだったらどうしましょう……

2015/05/18

白鷺の町──鷺ノ宮

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【東京都】──「神田川を歩く_18」
2015.5.18にアップしました。

 西武新宿線鷺ノ宮駅にほど近い、鎌倉に源氏の礎を築いた源頼義が建立した鷺宮八幡神社の境内では鷺が多く見られ、「鷺宮大明神」と呼ばれたのが地名由来とされます。
 白鷺が多かったようで、神社周辺には響きのいい「白鷺」という地名が残ります。
 西永福の大宮八幡宮と同様、流れの畔に建てられたのは、水を尊び恵みを願う思いによるのでしょう……

2015/05/11

G.W.はまったりと……──葛西臨海公園

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【東京都】
2015.5.11にアップしました。

 G.W.の空気感に触れようと、葛西臨海公園に足を運びました。
 ここは、東京都が東京湾の汚染や埋め立てで破壊された自然環境を再生しようと整備した都立公園で、荒川の対岸は新木場、旧江戸川の対岸は東京ディズニーランドに接します。
 海辺の公園なので「空が広い!」開放感がありますし、広さも小金井公園と同規模ですから、安・近・短組には絶好の施設です(陽気もいい日でした)。
 せめてG.W.には「海に接したい」が東京湾という情けなさには、「島もごぶさた〜」と、寝た子が目を覚ましそうです……

2015/05/04

じっとしてられない季節!──妙正寺池

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【東京都】──「神田川を歩く_17」
2015.5.4にアップしました。

 春の嵐に続き「夏日」の到来に、心身ともに戸惑う大人と違い、陽気を誘いとして受け止め本能に従う子供たちは、「思わず飛び出してきた」という表現がピッタリです。
 そんな本能とは、季節がわりを全身に感じさせ、体内時計の季節感を進めるための「生命の知恵」とも言えそうですから、「電車内が暑い」「エアコン入れろよ!」の場ではなく、太陽の下で感じたいと思ったりします……

2015/04/27

大地主屋敷も文化遺産──桃園川

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【東京都】──「神田川を歩く_16」
2015.4.27にアップしました。

 現在の東京では、大木群の下にあるのは寺社や公園ですが、付近には敷地内に大木を有し、門前に未舗装の私道を持つ大地主の屋敷がいくつもあるとは、たまげました。
 「左うちわ」の想像通り、地域貢献(寄付)に感謝される名士のようで、周囲から敬われる様子に「昔ばなし」の世界が思い浮かびます。
 ですが「このままの姿で保全して欲しい」文化遺産ですから、家主は代々の生活を強いられることになりそうです。
 現在の自分なら受け入れられる気がするも、「歴史を守る覚悟」を決めた心境を聞いてみたい気がします……

2015/04/20

銭湯という庶民文化──北新宿 vs 下落合

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【東京都】──「神田川を歩く_15」
2015.4.20にアップしました。

 かぐや姫『神田川』(作詞:喜多條忠)の歌碑が立つ対岸には、当時のアパート群が並ぶ昭和遺産が残され、「迷宮」のような町並みを歩くと「タイムスリップ?」かと方向感覚を失う瞬間があります。
 下落合の高台と対比すると、川沿いは吹きだまり的な地域で「窓の下には 神田川〜♪」には、そんな情景も込められていたようです。
 「青かった時代」を振り返る歌に、「一緒に入れる風呂付きの部屋」が、とりあえずの夢だった時代を思い出します。
 改めて考えると銭湯というのは見事な文化で、内風呂では周囲に迷惑をかけないためだらしなくなる部分も、きっちりと裸付き合いできていた気がします……(右は佐伯祐三アトリエ記念館)

2015/04/13

山と川の記憶をたどる──中野

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【東京都】──「神田川を歩く_14」
2015.4.13にアップしました。

 中野駅北口には平坦な印象があるも、南口には紅葉山公園の名を持つ施設があります。
 それは、南側を流れる桃園川が武蔵野台地を浸食したためで、川から見上げると確かに山のように見えます。
 ですが現在、公園に紅葉する植物は少ないらしく、桃園川は暗きょとされ、名残りは地形だけとなりました。
 公園に隣接する「なかのZERO:もみじ山文化センター」が旧中野公会堂跡と知り、これまでの「中野サンプラザ=中野公会堂」という思い込みの間違いに気付きました……

2015/04/06

社にふさわしい土地柄──西永福〜方南町

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【東京都】──「神田川を歩く_13」
2015.4.6にアップしました。

 西永福駅の案内で大きく扱われる大宮八幡宮は、1063年源頼義(源氏の祖とされる頼朝の高祖父(ひいひいじいさん))が建立した、武蔵国の三大宮(秩父神社、大宮 氷川神社:埼玉県)のひとつとされる歴史ある神社です。
 境内の湧水を霊水とした「多摩清水社:たましみずのやしろ」が祭られますが、裏手を流れる善福寺川では、水路改修工事が行なわれています。
 洪水に備える調整池が点在する現在も水利の要とされますから、こんな地にこそ「水神:龍や蛇」が祭られるべきではないかと、社を建てた頼義の動機を理解できるような気がしました……

2015/03/30

「いいお彼岸だ……」──高円寺

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【東京都】──「神田川を歩く_12」
2015.3.30にアップしました。

 普段、有名どころ以外のお寺は閑散としていますが、春分の日にはどの寺も墓参りの方々でザワつく空気感があります。
 先祖に感謝する「季節の慣習」とは、「無事に冬を越し、春をむかえられた」報告であり、季節感を身近に感じる民族ゆえ広く受け入れられたのではないか(806年 崇道天皇が開いた彼岸会(ひがんえ)をルーツとする日本独自の慣習)。
 右の手水鉢(ちょうずばち)に浮かぶ花は、寺から墓参者への心遣いに違いなく、こんな「おもてなし」を介し相手を思う感性こそが、「日本の美意識」という気がします……

2015/03/23

西の鎌倉、東の荻窪──荻窪

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【東京都】──「神田川を歩く_11」
2015.3.23にアップしました。

 荻窪駅前を通る青梅街道は、江戸城の漆喰に必要な石灰を青梅から運ぶために整備され、大正期から新宿〜荻窪間の街道上を路面電車が走りましたが、その地下に丸ノ内線が開通し役目を終えます。
 大正・昭和初期には、「西の鎌倉、東の荻窪」とされる近郊の別荘地だったらしいも、鎌倉に比べインパクトが弱いため「別邸」的なニュアンスだったのではないか?
 ですが、現在憩いの場とされる大田黒邸や角川邸に漂う「文化の香り」には、文化を広め、根付かせた輩を「文化人」と呼んだのかとも……

2015/03/16

平和利用から生まれた夢──西荻窪周辺

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【東京都】──「神田川を歩く_10」
2015.3.16にアップしました。

 防災公園&集合住宅として再開発された広大な土地には、戦時中まで中島飛行機東京工場(戦闘機工場)がありました(後の日産自動車荻窪工場)。
 戦後、中島飛行機解体後の富士精密工業時代に、東大生産研究所と共同でペンシルロケットが開発され、ロケット発祥地の碑が残ります。
 この地で産声を上げた国産のロケット技術は、現在の「H-IIAロケット:はやぶさ2打ち上げ等」に受け継がれるものです。
 この地で育った子どもたちが、その経緯を理解し宇宙への夢を抱けるように、アピールいていくべきと感じました……

2015/03/09

善き心で福の到来を祈る──善福寺池

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【東京都】──「神田川を歩く_9」
2015.3.9にアップしました。

 善福寺という響きから「善き心を持ち、福の到来を祈る」精神を受け止め、「郷に入っては郷に従え」を心掛ければ穏やかな気持ちになれそうと思うのは、単なる幻想か?
 池の名称は、以前ほとりにあった善福寺(廃寺)に由来しますが、現在付近にある善福寺は後の改名とされ、麻布十番の善福寺は無関係との見方もあるらしい。
 ですがいずれも、こころが暖まる名の元で祈りたい思いによるのではないか……

2015/03/02

記憶に残る文様──永福町〜中野富士見町

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【東京都】──「神田川を歩く_8」
2015.3.2にアップしました。

 「ほら、やっぱり地下鉄の入れるとこ隠してますよ!」
 春日三球・照代の「地下鉄漫才」(1970年代ですって…)にかけたつもりですが、知らない人も多そう……
 「垣根の奥で、掘り出した地下鉄を洗ってるんじゃないですか?」
 市街地で人通りの多い場所柄、脇の歩道橋にも遮蔽版があり迷惑行為防止に懸命なので、木々の合間からのぞきました。
 大江戸線木場車庫では地下までクレーンで下ろすらしい等、実際に見ていない認識のあいまいな部分へのツッコミが受けたようです。
 車体文様だけで丸ノ内線と伝わるデザインは1996年に姿を消しますが、多くの要望により2010年に復活します。やはり「これが丸ノ内線」ですよね……

2015/02/23

おいしい井戸水の記憶──代田橋〜四谷大木戸

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【東京都】──「神田川を歩く_7」
2015.2.23にアップしました。

 京王線代田橋駅下の旧玉川上水にはレンガ造りの水路が再現され、現在の和田堀給水所から渋谷方面への水道道路には、止水栓の車止めがあったりと、水の要衝をアピールしています。
 この先、玉川上水で断片的に目にする細い流れは付近のわき水らしいが、多摩川から引かれた水よりはるかにキレイとのこと。
 以前、代田橋の父の実家で飲んだ井戸水はおいしく、台所に水道水とは別に井戸水の蛇口があるほど、生活に密着した存在でした。
 それは、武蔵野台地が大きな扇状地として形成されたためで、水の質・量は変わったとしても、家康が井の頭池(いのかしら)で汲んだわき水と同じ仕組みに発するものです……

2015/02/16

水の道、人の道──下高井戸〜代田橋

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【東京都】──「神田川を歩く_6」
2015.2.16にアップしました。

 学生時代に迷惑をおかけした下高井戸での生活圏は世田谷区内に限られ、甲州街道(杉並区との区界)が北限でした。
 街道を渡った先に並行する玉川上水跡には、公園・遊歩道が整備されています。
 その地に立つと北側は神田川へ、南側もなだらかに下る尾根筋であることに気付きます。
 遠くを目指す使命を受けた、水の道(旧玉川上水)や人の道(甲州街道)を尾根筋に設置したのは、「位置(高さ)エネルギー」を有効利用するためで、自然と付き合いながら町・国づくりを進めた様子が感じ取れます……(右は明大前駅の跨線橋)

2015/02/09

土地が歴史を生む──高井戸〜下高井戸

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【東京都】──「神田川を歩く_5」
2015.2.9にアップしました。

 奥は高井戸のランドマークとされる杉並清掃工場の煙突ですが、環状八号線の反対側に偽装農地の代名詞とされる(?)「栗畑」が広がるとは知りませんでした。
 旬の季節には、敷地内にある「くりのないとう」店頭に行列ができるそうで、失礼しました。
 周囲には、土地の切り売りで建てたと思われる住宅街やマンション、温浴施設+フィットネス+スイミングスクール、高井戸小学校(寄付ではないにせよ)等々が隣接しており、所有地はどこまで広がっていたのか? というサイズ感に驚きます……

2015/02/02

欲が消えていく……──烏山寺町

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【東京都】──「神田川を歩く_4」
2015.2.2にアップしました。

 寺町の寺院は、石神井川沿いに点在する真言宗寺院のように地域に根付いたものでなく、移転希望寺の集まりのため宗派は様々ながらも、伝えんとする世界観に接していると、こころ穏やかになる変化を自覚できるようになります。
 そのこころは? 「共鳴」であると感じました。善し悪しではなく、響き合えるか? ではないかと。
 歩を進めるごとに、上空の風音(北風が強く寒い日だった)と、カラスの鳴き声しか聞こえない「彼岸のふち?」に近づけるような印象も……

2015/01/26

まるっと残る旧軍用地──久我山〜高井戸

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【東京都】──「神田川を歩く_3」
2015.1.26にアップしました。

 一見して旧軍用地の払い下げと分かる広大なグラウンド群は、この時のために維持されてきたようです。
 一帯をまるっと『高井戸公園』とする整備計画は、付近の道路整備計画を抱え込んで動き出します。
 便乗するのは、隣接する玉川上水沿いに「放射第5号線」を建設するものと、中央自動車道が開通し首都高速道路と接続(1976年)当時から、地元の反対により着工できなかった「高井戸IC下り線入口」建設です……

2015/01/19

2つの水路──井の頭公園〜久我山

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【東京都】──「神田川を歩く_2」
2015.1.19にアップしました。

 水源地(井の頭池)をわき出た水は低地へ向かうため、河川の場所(神田川)は周辺の谷底にあたり、海(流れ込む隅田川)までの標高の低い地点を結ぶ最短の線と言えます。
 一方、江戸時代に建設された玉川上水は、多摩川の水を市中の飲料水として運ぶため、その間の最も標高の高い地点を結ぶ分水嶺(れい)付近を通されました。
 性格の異なる2つの水路(谷底と分水嶺)が、井の頭公園付近で直線距離300m、高度差10m程度に近接しています。
 これは、井の頭池水源の地下水脈が浅い場所にあることを意味し、大きな建造物を建てたら地下水脈はひとたまりもない、ことを示しています……