2021/03/01

江戸神輿を支える──行徳

【タイトルのリンク先を指定できないため、本文はこちらからご覧下さい>>>】

2021.3.1にアップしました。

 家康は「塩は軍用第一の品、領内一番の宝である」と、塩田の広がる行徳一帯を幕府天領とし、塩を運ぶ水路(小名木川、新川)や成田街道が整備され、人や物資が行き交う街道筋はにぎわいました。その繁栄ぶりは「行徳千軒寺百軒」(1000戸の集落に寺社が100ある)とされ、寺社建立に腕を振るった宮大工による行徳神輿は、浅草・神田・深川 等の祭りで使われるようになります。
 神輿屋御三家とされた旧浅子神輿店では、日本一とされる門前仲町の富岡八幡宮一の宮神輿が作られました。

0 件のコメント: