2021/03/29

花曇りの彼岸──法華経寺

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2021.3.29にアップしました。

 日差しは弱くても暖かさのある花曇りの彼岸ですが、思ったより人出が少ないのは、お年寄りとの外出を控える方が多いためかと。普段の彼岸は、桜には少し早い時季ですが、今年の開花はかなり早いため、ちらほらと咲き始める様子が楽しめます。
 家族連れを多く見かけるのは、外出を自粛するため「家族で墓参りに行こう」との動機かもしれません(彼岸の墓参りは大切な要件です)。これを機に家族単位で行動する機会が増えればと、前向きに受け止めるべきかもしれません……

2021/03/22

人が生んだ干潟──江戸川放水路

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2021.3.22にアップしました。

 普段は流れのない江戸川河口域(可動堰下流)は、干潟の入江のような環境がハゼの棲息に適しているため、ハゼ釣りのスポットとして知られます。
 ガキ時分のハゼ釣りの記憶(金沢八景:横浜)では、「バカでも釣れる」とされたように、糸を垂らせばすぐ釣れる印象がありましたが、もうあんな楽しさは味わえないことでしょう。潮干狩り(幕張)とともに、東京湾の恵みを体感したことは忘れられない経験で、子ども心に強烈な印象として刻まれますから、「江戸川のハゼ釣り」が思い出となるよう、残してあげたいと……

2021/03/15

歴史を受け継ぐ──妙典

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2021.3.15にアップしました。

 地下鉄東西線 妙典駅周辺は以前行徳町とされ、本塩、塩焼 等の地名が残る塩業の中心地で、江戸時代に「行徳千軒寺百軒」とされた様子は、寺社が健在の地域に残る寺町通りの名称にうかがえます。
 妙典(法華経の別の略称)の地名は、中山(競馬場付近)にある法華経寺の系譜を持つ、日蓮宗に守られた経緯によりますが、往来が多い成田街道(新勝寺は真言宗)や、塩田労働者が多い地域のためか、多様な宗派の人々を受け入れる、包容力を持ち合わせていました。
 周辺の発展は徳川家とのつながりによるもので、家康が鷹狩りの際に通った道(権現道)を大切にする姿勢が受け継がれ、繁栄期の遺産が残されるようです……

2021/03/08

海辺の残像──行徳_2

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2021.3.8にアップしました。

 行徳駅から海へ向かうまっすぐで少し下る道には、茅ヶ崎のような海辺の町の空気を感じます。一帯は水田やレンコン畑(湿地)を埋め立て区画整理したので、港などの構造物は無いはずですが、行徳に2箇所、南行徳に1箇所キレイな弧を描く道路があるのは、区画整理でしゃれっ気を演出したかったのではないかと。
 田んぼの中にまっすぐ伸びていたのは鴨場に向かう道で、そんな光景に遭遇したら「この先には何が?」と、きっと足を運んだことと。誰もいないと思う場所でも、釣り人はいたりしますが、さすがに遠浅の湿地にはいなかったのでは……

2021/03/01

江戸神輿を支える──行徳

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2021.3.1にアップしました。

 家康は「塩は軍用第一の品、領内一番の宝である」と、塩田の広がる行徳一帯を幕府天領とし、塩を運ぶ水路(小名木川、新川)や成田街道が整備され、人や物資が行き交う街道筋はにぎわいました。その繁栄ぶりは「行徳千軒寺百軒」(1000戸の集落に寺社が100ある)とされ、寺社建立に腕を振るった宮大工による行徳神輿は、浅草・神田・深川 等の祭りで使われるようになります。
 神輿屋御三家とされた旧浅子神輿店では、日本一とされる門前仲町の富岡八幡宮一の宮神輿が作られました。