2013/12/16

若く見えるのはなぜ?──練馬〜豊島園

【東京都】──「大江戸線を歩く_26」
2013.12.16にアップしました。

 子どもを見守る今どきのお母さんの姿はカッコよく、自分の小学生時代と比べると、初産高齢化とされ年齢は高いはずなのに、若く見える気がします。ナチュラルな化粧やカジュアルな格好は、活動的と感じるさせる力がありそうです。
 あおりを受けるオヤジたちはイッパイな上に、パートで働く奥さんからグチの先制攻撃を受けると、グチも封じられ言葉数も少なくなります。
 ガキの頃と現在の視線は違うにしても、「お母さんは若く見える」に対し「オヤジは変わらない」ですから、「オヤジ頑張ってるか〜⁉」のエールを送りたくなります……

2013/12/09

学生街+商店街の楽しさ──新江古田〜練馬

【東京都】──「大江戸線を歩く_25」
2013.12.9にアップしました。

 西武池袋線江古田駅は三大学キャンパスの最寄り駅で、駅を中心とした狭い地域に肩を寄せ合い活気を生み出す商店街に、通った大学近くの京王線下高井戸駅周辺を想起します。
 関東大震災(1923年)以降、地方からの流入者は下町ではなく高台を目指すようになり、武蔵野の人口が爆発的に増加し、東武東上線、西武線、中央線、京王線、小田急線、東急線沿線に、庶民の町が誕生します。
 商店街に感じるなじみやすさや親しみは、食料品や日用品を扱うからではなく、日常生活の一部となる「アイコンタクト:あいさつ」や「仲間意識」の楽しさにあることを、ひとりで暮らすようになって実感するようになります……

2013/12/02

受け継がれる遺産──落合南長崎〜新江古田

【東京都】──「大江戸線を歩く_24」
 2013.12.2にアップしました。

 モスクのようにも見えますが、この建造物も人々に「安心感」を与えてくれる施設です。
 この塔は、関東大震災(1923年)後の東京市近郊の急激な都市化による水需要の要請から、世田谷区喜多見の砧(きぬた)浄水場から多摩川の水を引いた「荒玉水道」の配水塔で、現在は中野区の災害用給水槽として活用されます。
 通った大学に近い京王線桜上水駅前の一直線に伸びる道は、導水管上に設置された荒玉水道道路で、真っすぐでも道幅が狭い上に電柱が邪魔で走りにくい道でした……

2013/11/25

哲学(考えること)の必要──中井〜落合南長崎

【東京都】──「大江戸線を歩く_23」
 2013.11.25にアップしました。

 若い時分、頭の中の考えを具象化することは困難と思っていましたが、オヤジになると「具体化以外に表現法はない」ことを学び、臨機応変の対応に腐心することになります。
 さまざまな局面でヒントを与えてくれる「哲学(考え方)」は普遍的な考え方であるため、具象・具体化の実践はわれわれ自身に託されます。その苦悩が「生き様」の証しになるというのが、哲学の導きではあるまいか。
 ですが、普遍的な導きからは「考え方は間違っていない」「方向性は同じ」でも、数学の解のように同じ結論に至ることはまずありません。
 それこそが数々の「哲人」たちが訴えてきた、世の中の「多様性」「豊かさ」につながることなのだと思います……(右は哲学堂公園)

2013/11/18

ビニール袋を握りしめる充足感──東中野〜中井

【東京都】──「大江戸線を歩く_22」
 2013.11.18にアップしました。

 下落合駅近くで元気な鮮魚店に出会い、その光景に若い時分に通った商店街の様子を想起しました。
 魚屋(当時シメサバが大好物)、豆腐屋(家で厚揚げ・がんもを焼いた)、肉屋(唐揚げがおいしい)で、それぞれ単品で買うためレジ袋には入れてもらえず、持ち手のない透明のビニール袋の端を握りしめ、ぶら下げ帰る際の充足感を思い出します。
 今でも店のオヤジやおばちゃんの顔まで思い出せることから、「地元付き合い」だったと改めて感じます。
 近ごろもコンビニやスーパーの店員さんの顔は覚えても入れ替わりが多いので、いつの間にか記憶から消えることが当たり前になりつつあります……

2013/11/11

JR中央沿線文化──中野坂上〜東中野

【東京都】──「大江戸線を歩く_21」
2013.11.11にアップしました。

 JR中央線の快速通過駅、大久保・東中野を利用した記憶はなくても、大久保には新宿の残り香が、東中野には中央沿線独特の文化が漂う印象がありました(歩いて納得)。
 その起源は、関東大震災以降の東京への流入者が、被害甚大な下町ではなく山手郊外を目指したため、江戸っ子と違う各地方のごった煮文化圏が生まれたのでは、と推測します。
 なんでもあり=よく分からない面もあるが、どこの出身者でも気取らず暮らせる生活圏が形成され、独自の空気感が生まれたのではあるまいか。その一方で、気心知れた途端にベタベタ感が生まれる地域(人恋しい連中のたまり場)という気もします……(右の物体は何なのだろうか?)

2013/11/04

染みついた記憶──西新宿五丁目〜中野坂上

【東京都】──「大江戸線を歩く_20」
2013.11.4にアップしました。

 このホテルはアラーキーが撮影に使用したとされ、本能的欲求をあるがままに受け入れてくれる施設だったようです(2000年閉鎖)。
 この階段には、男女がさまざまな決断をしたであろう生々しさが、いまも残るような印象があります。
 同所の階段上から見下ろす奧には、水辺こそがふさわしく(井の頭公園を想起する)、心中でなくてもある種の「覚悟」を持たねば進めない、いばらの道へと続く階段だったようにも思えます。
 結論はいかようでも、この地に染みついた記憶は、墓場まで連れて行く類のもののように感じられます……


2013/10/28

温泉とガスタンク──都庁前〜西新宿五丁目

【東京都】──「大江戸線を歩く_19」
2013.10.28にアップしました。

 現在パークハイアットホテルの地には以前、ガスタンクが並びました。当初は円筒形で貯蔵量により天板が上下するものでしたが、1975年頃球形のものに建て替えられます。球形の印象が残るわたしの記憶は古いものではないようです。
 ガスタンクが作られる前は「梅屋敷銀世界」が存在したと目にし、何と魅惑的な響き! と。
 江戸時代、都庁を含めた一帯には館林藩・秋元家の梅林があり、そこに「銀世界」という梅屋敷があったとのこと。
 銀世界とは、梅の花を「白銀の花が咲く如く」という、見事な表現によります……

2013/10/21

地震への覚悟──御前崎、浜名湖周辺

【静岡県】──「東海道をゆく_4」
2013.10.21にアップしました。

 右は焼津市街にある津波避難施設ですが、付近にある学校などの避難場所に比べ、キャパの少ない施設です(現在準備中)。
 関係者の話しでは「避難場所は学校等の高いコンクリート製の建物で、ここは逃げ遅れた人の緊急避難施設」とのこと。想定の津波高は2階以下の高さらしい。
 市で確保した指定津波避難ビル、民間津波避難協力ビルでは足りないとはいえ、市街地での避難所設置は敷地確保から始まるため、おいそれと建設できないことも確かです。
 ここはモデル施設かも知れませんが、住民に避難意識を根付かせるためにも増やすべき施設と感じます……

2013/10/14

谷間で汽笛を聞きながら──大井川鉄道

【静岡県】──「東海道をゆく_3」
2013.10.14にアップしました。

 大井川鉄道のSLはサービス満点で、機関車は見えなくても「遠くで汽笛を聞きながら♪」の煙と汽笛が徐々に近づいてくる高揚感には、しびれるものがあります。
 運転手(機関手が正しいか?)も見せ場と心得ていて、橋の上では汽笛も煙も大サービスでアピールしてくれます。
 「久しぶりなの〜」と涙ぐむおばあさんの蒸気機関車に対する郷愁には、時代背景を含め複雑な思いがあることでしょう。
 「キターッ!」の瞬間からあっという間ですが、迫力ある走りには「カッケー!」とほれぼれしますし、郷愁感を持たない若者に人気があることもよく分かります……(右は塩郷の吊橋)

2013/10/07

記憶をつないだ──登呂遺跡・三保・丸子

【静岡県】──「東海道をゆく_2」
2013.10.7にアップしました。

 登呂遺跡に小学校の社会見学で来た記憶には「隣県でも遠かった」「何でここまで来たのか?」の印象がありました。
 当時までに発見された遺跡は数多くあっても、建物を復元する遺跡の先がけだったのか? 単に行き先選定会議で、社会の先生案が通ってしまったのか?
 現地での記憶はほとんど無いものの、ガキ時分に登呂の火起こし像を目にしたらしばらく盛り上がっただろうとも。火起こし体験とかしたのだろうか……

2013/10/03

富士山麓水の恩恵──三島・富士

【静岡県】──「東海道をゆく_1」
2013.10.3にアップしました。

 静岡県は、接する神奈川県育ちのせいか「いつでも行ける」意識から、富士・伊豆以外は後回しとなりました。
 品川〜三島はひかりで30分程度の近場感が逆に、近くて遠い場所としたのかも知れません。
 三島で最初に染み込んできたのは「豊かな水」の印象で、富士山から流れ出た「三島溶岩」は先端の地に、堅固な地盤と伏流水の恵みをもたらしました。
 豊かな湧水が人々を呼び寄せたようです……

2013/09/23

新宿アンダーグラウンド

【東京都】──「大江戸線を歩く_18」
2013.9.23にアップしました。

 9月10日の晩、都庁前の都民広場で開かれた『五輪開催決定都民報告会』では、一部から「イノセ(キではない)コール」が聞かれましたが、あれは知事の要請か?
 熱気は去りましたが、以来町の人々には明るさが感じられます。
 そこで耳にする「また東京だけでしょ!?」の声に対する第2の矢となるのか、2027年開業を目指した「リニア中央新幹線ルート案」が発表されました。
 新旧沿線は悲喜こもごもでも、ようやく復活の兆しが見えはじめたこの国に、未来が感じられたような気がします……

2013/09/16

摩天楼で抱いた夢──新宿西口〜都庁前

【東京都】──「大江戸線を歩く_17」
2013.9.16にアップしました。

 学生時代にはまだ数少なかった高層ビル群ですが、「未来の象徴」への関心から高層階の大衆パブ的な店によく足を運びました。
 町を見渡し「青き夢」を抱いた場所は、何ひとつ成せなかったと素直になれる場所ともなります。
 建設当時は三角の形状で注目されるも、今どきは「地震に強そう」と見る目は変わりました。
 東日本大震災では被害の報告があったらしく、三角の構造は強そうでも、高層ビルでは上・下部での揺れの差が影響するようです。
 次の手には、ペンタゴンの「五角形」が強そうに思えますが……

2013/09/09

隣人と無垢に遊べる日──東新宿〜新宿西口

【東京都】──「大江戸線を歩く_16」
2013.9.9にアップしました。

 以前山手線の車窓から、新宿の職安付近で仕事を求める人の群れを目にした記憶があります。
 コリアタウン大盛況の現状からは、朝鮮半島出身者がらみと想像できますし、この日「やはり」と受け止めたことで古い記憶がよみがえりました。
 半島出身の出自を持つ小学校の同級生が「お前知らないのか?」と、放課後はクラスメートを遠ざけていた事に思い至ります。
 それは社会認識をゆがめてしまった教育の残滓のせいとしても、以前には現在とは比較にならない「被差別意識」を抱き、過ごしたであろう人々がいました……

2013/09/02

苦学生とともに──若松河田〜東新宿

【東京都】──「大江戸線を歩く_15」
2013.9.2にアップしました。

 西早稲田の路地にはいまも下宿屋のたたずまいが健在ですが、むかしの貧乏学生がひどかったことを、五木寛之『青春の門』とシンクロする人は多いのではあるまいか。
 道すがら、ヒロイン織江の「信介しゃん」の声を耳にした錯覚は、若い時分に背伸びしたあこがれが呼び覚まされるようでもあり、なんだか胸がざわざわしてくる。
 サッシ窓の部屋に暮らす現代の苦学生に、この町はどう映っているのだろう……

2013/08/26

明治期の再開発地域──牛込柳町〜若松河田

【東京都】──「大江戸線を歩く_14」
2013.8.26にアップしました。

 明治期の若松・河田町周辺は、広大な武家屋敷跡地に病院・学校など大規模施設、守り継がれる(?)住宅地の狭い路地や、蔵を構えた商家の名残など、多様な人を集めるための整備が行われたようです。
 駅名にある両町とも「丁目」のない単独町名で面積も狭いため、併記で地域をアピールしますが、牛込柳町同様「バス停のネーミング」的なローカルさがあります。
 計画された若松町駅の名称は、フジテレビ移転による河田町衰退防止策で変更されたそうです。
 その成果? なのか、河田町玄関口の地下鉄新宿線曙橋駅前の「あけぼの橋通り商店街」には、いまも活気が感じられます……

2013/08/19

国を守る仕事──牛込神楽坂〜牛込柳町

【東京都】──「大江戸線を歩く_13」
2013.8.19にアップしました。

 防衛省の門では、ドスを利かせてにらみ付ける門番のような守衛(OB or 警察出身?)の迫力に威嚇され、のぞき込むような撮り方はできません。
 北朝鮮のミサイル発射の際、迎撃用パトリオットミサイル(PAC-3)は市ヶ谷にも設置されました。
 ここに配置されたミサイルは「自衛活動のために本部を守る」を第一義とするもので(戦場では軍隊を守るために戦う、に同じ意)、次いで首都防衛とされるようです。
 論理は理解できても「何だかなぁ〜」と、戦争時に感じたのではもう手遅れです……(右奧は防衛省の巨大アンテナ)

2013/08/12

メディアを支えるのは熱意──飯田橋〜牛込神楽坂

【東京都】──「大江戸線を歩く_12」
2013.8.12にアップしました。

 印刷博物館(凸版印刷)で印刷メディア(雑誌・書籍)の仕事は、送り手の「伝えたい」意欲と、受け手の「知りたい」欲求に支えられることを再認識しました。
 展示されるむかしの手作業には「根気あるなぁ」と感心するも、現在のわれわれも違う形の「根気仕事」を、せっせとこなしていることに気付かされます。
  各工程でさまざまな技術向上の恩恵を受けますが、それぞれ時代の条件下でよりいいものを作ろうとする「熱意」が、歴史となりつつあるのかと、納得するところです……

2013/08/05

危機対応力が試される夏──春日〜飯田橋

【東京都】──「大江戸線を歩く_11」
2013.8.5にアップしました。

 この日多く見かけた浴衣姿は、おそらく隅田川花火大会を目指したと思われますが、開始30分で豪雨のため中止となりました。
 近ごろ急な雷雨が多いとはいえ「花火!」と盛り上がる際に、雨の心配をした人はどれだけいたでしょう。
 都市部なら雨宿りや傘もすぐ手に入るとの考えも、百万人近くの見物客が一斉に実現できるわけもありません。
 その対応「傘を持参」「判断ミスでずぶ濡れになった」で、カップルの将来が大きく左右されたかも?
 この夏のデートでは、突然の雷雨などへの危機対応力が試されそうです……