2017/06/05

道が町を生む──用賀

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2017.6.5にアップしました。

 関東大震災の後、被害が少なかった高台への人口流入増を受け、当時の玉川村では耕地整理が行われ、その事業費捻出のため馬事公苑の土地が売却されたそう。
 おかげで世田谷とは思えない碁盤状の区画に整備されますが、整然と並ぶ住宅街には目印がないため、用賀条通り(一〜十条)として道案内するようになります。
 大山街道と世田谷通りの間を、京都とは逆に北に向かって数を重ねるのは、地域の中心は大山街道との思いによりそうです……

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