2015/04/27

大地主屋敷も文化遺産──桃園川

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【東京都】──「神田川を歩く_16」
2015.4.27にアップしました。

 現在の東京では、大木群の下にあるのは寺社や公園ですが、付近には敷地内に大木を有し、門前に未舗装の私道を持つ大地主の屋敷がいくつもあるとは、たまげました。
 「左うちわ」の想像通り、地域貢献(寄付)に感謝される名士のようで、周囲から敬われる様子に「昔ばなし」の世界が思い浮かびます。
 ですが「このままの姿で保全して欲しい」文化遺産ですから、家主は代々の生活を強いられることになりそうです。
 現在の自分なら受け入れられる気がするも、「歴史を守る覚悟」を決めた心境を聞いてみたい気がします……

2015/04/20

銭湯という庶民文化──北新宿 vs 下落合

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【東京都】──「神田川を歩く_15」
2015.4.20にアップしました。

 かぐや姫『神田川』(作詞:喜多條忠)の歌碑が立つ対岸には、当時のアパート群が並ぶ昭和遺産が残され、「迷宮」のような町並みを歩くと「タイムスリップ?」かと方向感覚を失う瞬間があります。
 下落合の高台と対比すると、川沿いは吹きだまり的な地域で「窓の下には 神田川〜♪」には、そんな情景も込められていたようです。
 「青かった時代」を振り返る歌に、「一緒に入れる風呂付きの部屋」が、とりあえずの夢だった時代を思い出します。
 改めて考えると銭湯というのは見事な文化で、内風呂では周囲に迷惑をかけないためだらしなくなる部分も、きっちりと裸付き合いできていた気がします……(右は佐伯祐三アトリエ記念館)

2015/04/13

山と川の記憶をたどる──中野

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【東京都】──「神田川を歩く_14」
2015.4.13にアップしました。

 中野駅北口には平坦な印象があるも、南口には紅葉山公園の名を持つ施設があります。
 それは、南側を流れる桃園川が武蔵野台地を浸食したためで、川から見上げると確かに山のように見えます。
 ですが現在、公園に紅葉する植物は少ないらしく、桃園川は暗きょとされ、名残りは地形だけとなりました。
 公園に隣接する「なかのZERO:もみじ山文化センター」が旧中野公会堂跡と知り、これまでの「中野サンプラザ=中野公会堂」という思い込みの間違いに気付きました……

2015/04/06

社にふさわしい土地柄──西永福〜方南町

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【東京都】──「神田川を歩く_13」
2015.4.6にアップしました。

 西永福駅の案内で大きく扱われる大宮八幡宮は、1063年源頼義(源氏の祖とされる頼朝の高祖父(ひいひいじいさん))が建立した、武蔵国の三大宮(秩父神社、大宮 氷川神社:埼玉県)のひとつとされる歴史ある神社です。
 境内の湧水を霊水とした「多摩清水社:たましみずのやしろ」が祭られますが、裏手を流れる善福寺川では、水路改修工事が行なわれています。
 洪水に備える調整池が点在する現在も水利の要とされますから、こんな地にこそ「水神:龍や蛇」が祭られるべきではないかと、社を建てた頼義の動機を理解できるような気がしました……