2013/05/27

水都江戸をたどる──小名木川、仙台堀川

【東京都】──大江戸線から、ちょいと寄り道
2013.5.27 にアップしました。


 江戸に移った徳川家康は、江戸城を中心としたインフラ整備に着手し、現在千葉県の塩田から塩を運ぶため、浅瀬が広がる沿岸に小名木川の水路を開き、後の水都となる礎を築きます。
 しかし、高度成長期の地盤沈下による度重なる水害のため、閉鎖・埋立てられることに。
 再開されたのは、荒川ロックゲートや、隅田川〜荒川の高低差(最大3m)を調整する扇橋閘門など、ゼロメートル地帯を守るための「壁」がすき間無く整備された2005年になります。
 周辺と変わらない活気に見えますが、この先も「水害危機」との隣り合わせを強いられる地域です……

2013/05/20

過去に学ぶべき震災復興の意識──下谷

【東京都】──「大江戸線を歩く」スピンオフ企画
「最後の同潤会アパート」
2013.5.20 にアップしました。

 関東大震災復興の際は、震災4年後に日本最初の地下鉄が開通し、小学校再建に+1年、アパート建設には+2年を要しました。
 時代や環境は違えど、復興の優先順位は変わらないでしょうから、過去の経験から学ぶ姿勢があれば、今回の復興も時間を要する認識と、その間必要となる避難民のケアを予測できたのではないか、という気がしてなりません。

 右は震災復興住宅「同潤会アパート」の中で、最後まで残された建物ですが、戦禍を乗り越え80年以上利用された姿は、当時託された「希望の大きさ」をしっかと後世に伝えたように見えます……

2013/05/13

戦禍をくぐり抜けた建物たち──清澄白河

【東京都】──「大江戸線を歩く_2」
2013.5.13 にアップしました。

 付近には、昭和初期に建設された鉄筋コンクリートの建物が複数現存しています。
 空襲で火の海になった地域で焼け残ったのはコンクリート製のおかげと思いがちですが、地域の人は「ここを守りたい」の意識から、バケツリレーで延焼を防いだそうです。
 手のかかる配管補修は、露出配管(室内・外に下水管が通る邪魔な構造:現在の部屋も同じ)のおかげで繰り返し行えたことが、建造物長持ちのポイントとのこと。
 ということは、現在暮らす建物もまだまだ使えるということかも知れません……(右写真は清澄庭園)

2013/05/06

連休の湘南・横浜シーサイド

【神奈川県】──片瀬海岸、平塚、横浜(2013.5.3〜5)
2013.5.6にアップしました。

 連休で実家(相模原)に戻る際に立ち寄るのは、毎度の鎌倉・江の島周辺ですが、寝坊して鎌倉に寄れないことも近ごろは常習化しつつあります。
 このところゴールデンウィークで天気がいいのは前半だけで、後半は残念の年が続いた印象があるも、東京周辺に限れば全般的に恵まれましたから、遊ぶ側も受け入れ側も、満足できたのではないでしょうか……