【東京都】──「大江戸線を歩く_23」
2013.11.25にアップしました。
若い時分、頭の中の考えを具象化することは困難と思っていましたが、オヤジになると「具体化以外に表現法はない」ことを学び、臨機応変の対応に腐心することになります。
さまざまな局面でヒントを与えてくれる「哲学(考え方)」は普遍的な考え方であるため、具象・具体化の実践はわれわれ自身に託されます。その苦悩が「生き様」の証しになるというのが、哲学の導きではあるまいか。
ですが、普遍的な導きからは「考え方は間違っていない」「方向性は同じ」でも、数学の解のように同じ結論に至ることはまずありません。
それこそが数々の「哲人」たちが訴えてきた、世の中の「多様性」「豊かさ」につながることなのだと思います……(右は哲学堂公園)
06年夏に生まれ育った東京圏を離れ大阪に移り住んだ際に、これまでにもまして会う機会の少なくなった知人への近況報告として、立ち上げました。
08年夏に東京圏に戻りましたが、継続しています。
現在、京都、奈良、瀬戸内、兵庫、滋賀、中国地方、福井、沖縄等を公開しています。
2013/11/25
2013/11/18
ビニール袋を握りしめる充足感──東中野〜中井
【東京都】──「大江戸線を歩く_22」
2013.11.18にアップしました。
下落合駅近くで元気な鮮魚店に出会い、その光景に若い時分に通った商店街の様子を想起しました。
魚屋(当時シメサバが大好物)、豆腐屋(家で厚揚げ・がんもを焼いた)、肉屋(唐揚げがおいしい)で、それぞれ単品で買うためレジ袋には入れてもらえず、持ち手のない透明のビニール袋の端を握りしめ、ぶら下げ帰る際の充足感を思い出します。
今でも店のオヤジやおばちゃんの顔まで思い出せることから、「地元付き合い」だったと改めて感じます。
近ごろもコンビニやスーパーの店員さんの顔は覚えても入れ替わりが多いので、いつの間にか記憶から消えることが当たり前になりつつあります……
2013.11.18にアップしました。
下落合駅近くで元気な鮮魚店に出会い、その光景に若い時分に通った商店街の様子を想起しました。
魚屋(当時シメサバが大好物)、豆腐屋(家で厚揚げ・がんもを焼いた)、肉屋(唐揚げがおいしい)で、それぞれ単品で買うためレジ袋には入れてもらえず、持ち手のない透明のビニール袋の端を握りしめ、ぶら下げ帰る際の充足感を思い出します。
今でも店のオヤジやおばちゃんの顔まで思い出せることから、「地元付き合い」だったと改めて感じます。
近ごろもコンビニやスーパーの店員さんの顔は覚えても入れ替わりが多いので、いつの間にか記憶から消えることが当たり前になりつつあります……
2013/11/11
JR中央沿線文化──中野坂上〜東中野
【東京都】──「大江戸線を歩く_21」
2013.11.11にアップしました。
2013.11.11にアップしました。
JR中央線の快速通過駅、大久保・東中野を利用した記憶はなくても、大久保には新宿の残り香が、東中野には中央沿線独特の文化が漂う印象がありました(歩いて納得)。
その起源は、関東大震災以降の東京への流入者が、被害甚大な下町ではなく山手郊外を目指したため、江戸っ子と違う各地方のごった煮文化圏が生まれたのでは、と推測します。
なんでもあり=よく分からない面もあるが、どこの出身者でも気取らず暮らせる生活圏が形成され、独自の空気感が生まれたのではあるまいか。その一方で、気心知れた途端にベタベタ感が生まれる地域(人恋しい連中のたまり場)という気もします……(右の物体は何なのだろうか?)
その起源は、関東大震災以降の東京への流入者が、被害甚大な下町ではなく山手郊外を目指したため、江戸っ子と違う各地方のごった煮文化圏が生まれたのでは、と推測します。
なんでもあり=よく分からない面もあるが、どこの出身者でも気取らず暮らせる生活圏が形成され、独自の空気感が生まれたのではあるまいか。その一方で、気心知れた途端にベタベタ感が生まれる地域(人恋しい連中のたまり場)という気もします……(右の物体は何なのだろうか?)
2013/11/04
染みついた記憶──西新宿五丁目〜中野坂上
【東京都】──「大江戸線を歩く_20」
2013.11.4にアップしました。
このホテルはアラーキーが撮影に使用したとされ、本能的欲求をあるがままに受け入れてくれる施設だったようです(2000年閉鎖)。
この階段には、男女がさまざまな決断をしたであろう生々しさが、いまも残るような印象があります。
同所の階段上から見下ろす奧には、水辺こそがふさわしく(井の頭公園を想起する)、心中でなくてもある種の「覚悟」を持たねば進めない、いばらの道へと続く階段だったようにも思えます。
結論はいかようでも、この地に染みついた記憶は、墓場まで連れて行く類のもののように感じられます……
2013.11.4にアップしました。
この階段には、男女がさまざまな決断をしたであろう生々しさが、いまも残るような印象があります。
同所の階段上から見下ろす奧には、水辺こそがふさわしく(井の頭公園を想起する)、心中でなくてもある種の「覚悟」を持たねば進めない、いばらの道へと続く階段だったようにも思えます。
結論はいかようでも、この地に染みついた記憶は、墓場まで連れて行く類のもののように感じられます……
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