2008/02/25

禅を表現するということ──相国寺

【京都府】
2008.2.25 にアップしました。

 禅を表現するということは、もうこれ以上そぎ落とすものはないところまで突き詰めた、その描き手の心象に映った本質を描くことにほかならないのではないか?
 そんな衝撃を受け、展示室なので大きな声は出さずとも「変な人?」のように、何やらブツブツつぶやいておりました……

2008/02/18

時を失う──源光庵、光悦寺、今宮神社、大徳寺

【京都府】
2008.2.18 にアップしました。

 自分を孤高な存在として感じることができるときには、おそらく時間の感覚を失っているのではないか、と思われます。印象は残っていてもそれらの重きを比べられない、むしろ比べる必要がない同じくらい大切なものとして心に刻まれる事をよろこぶべきではないか、と思うようになり始めてきました。(伝わるか分かりませんが、禅寺での瞑想とは自分と対峙(たいじ)することですから、わたしは楽しく感じています。)

2008/02/12

日本のへそ──明石、舞子、須磨

【兵庫県】
2008.2.12 にアップしました。

 天文少年だったわたしにとって、明石天文台はあこがれの場所でしたし「きっといつか!」との思いも、こんな歳になってしまいました。それにしても、三つ子の魂…ではないですが、小学生時代の思いをまだ忘れずにいるばかりか「おぉ、ここだ。やっと来たなぁ」などと感慨にふけっているということに、本当に子どもの頃の情操教育の大切さを身にしみて感じた次第です。

2008/02/10

【日和見企画】雪に誘われて

【京都府】
2008.2.10 にアップしました。

 前日の予報では雨とのことなので、ゆっくり寝て映画でも行くかと、午後1時頃起きてみれば雪ではあ〜りませんか──雪の日ってグッスリ眠れたりしませんか?
 京都の雪景色も一度くらい撮っておかないとなぁと、そこから思い立ってバタバタと出てきました。1時まで寝ていて、散歩に来られるのだからどれだけ近いか、ということですよね。

2008/02/04

迷い道くねくね──妙心寺

【京都府】
2008.2.4 にアップしました。

 こんな「迷い道」を作ってと思ったのですが、そう感じているのは「自分の意識」なわけで、例え目を閉じ「心の目」で通り抜けられたとしても、次回も同じように抜けられるとは限らない、と言われているような気がしました。
 人の心とは「常に変化している故に危ういのだ」と、警策(きょうさく:座禅で喝を入れられる棒)で脳天をパチンと叩かれたような気がしました。